2008年9月27日 (土)

若い人の悩み

日本の若い人が悩んでいる。

どことなく共通していいる悩み方。
自分って、、、自分のいやな面を注視して悩む。コンプレックス型の悩みが多い。
しかしよく考えてほしいが、それは何もしなければ誰でもそうなるように神様が
人を作ったともいえる。何も食べなければおなかがすくのは、そうやって神様が
人間を作ったことと同じ。

人は何にもならずにただ生きていけば、青年期頃には誰でも上記の悩みを持つにいたる。
これは極めて個人的な悩みに見えておなかがすくのと同じことなのだ。
おなかがすいているのに、わたしってなぜおなかがすくのか、、、と悩んでいても
答えにはならない。何か食べる以外にない。

私って、、、、の悩みは、何かになる、ことでほとんど消えてなくなる。
あなたは何ですか。と尋ねられて、私はサラリーマンです。と、そうちゃんと答え
られる人は、悩んでいない。
自分は何だ、という答えをもっているからだ。

本当はサラリーマンなんかいやだけど、仕方なくやっている、、、という人は、
私はサラリーマンです。とは答えられない。
人にはお役に着くときがある。お役につくことで実は自己存在の根源的な悩みから
解放される。
子供はなぜスーパーマンのマネをするのだろう。
今はスーパーマンではないだろうが、ヒーローや運転手さんや警察官のマネをすぐにする。
そう、何かになりたいのだ。何かになることが自分が生まれてきた意味だということを
本能的に子供は知っている。しかし成長とともに社会がそれをかえって許さなくしている。

すぐに叱る親、安全な生き方をそうでない生き方をすぐに分けたがる学校や社会、、、
そして子供は安全策としての生き方がいいといつしか思い込む。
安全も危険も実はない。いまどき、サラリーマンになれたからと言って安全だなどと思える
人はいないのだから。

問題は安全危険ではなく、自分は何になりたいのか、、、何になるのか、、、ということなのだ。

そして自分はサラリーマンです。私は何何です、とはっきり言える人には、もう自分なんて、、
という悩みは消えてしまう。人間はそうなっている。要するに、社会的な動物なのだ。
私は歌手です。私には歌しかありません。と言えれば、たとえそれで飯が食えなくてもその人は
少なくとも悩んではない。悩みは具体的なことだけ。明日生きるお金をどうしよう、、、という
のはあるかもしれぬが、歌を捨てられなければ元気も失わない。たとえそこまで行っても。

ひるがえって見ると、若者に、自分は何です、、、といえるものがない。それまでは悩むのだ。
神は人を大勢つくり、それらの自分の子供が何をして、神の多様性と表現をしてくれるのかが
楽しみでしかたない。なのに何にもならないで、ただ自分って、、、、と悩んでいる。
助けようがない。何かになることで人は社会にかかわれる、何かになることで人とも接すること
ができる。日本人がすぐに自分ってと悩むのには、巧みなGHQの戦略があった。

戦前は中学生でもゼロ戦に乗れた。操縦ができた。敵機を撃ち落とした者も多かった。
なぜそんなことができたのかは、教育制度にあった。小学生の高学年ごろから方向が見えてくる。
中学生になるともう進路は決まっている。文化方面か、機械方面か、工学方面、または家のあととりか、
、、など、自分が何になるかがすぐに決まる。そういう教育制度だった。
戦後は633制だから、一般教養ばかりで自分が何になっていくかは、大学に行ってもわからない。
一応大学3年からは専門コースに入ることになるが、その専門というのも現実社会とのかかわりは
あまりない。
私は経済など一度も学んだことなどないが、どの経済学部の学生と話ても私の方が間違いなく経済
について理解していると勝手だが思ってしまう。少なくとも、あれでは経済などで本気で食べていく
ことなど本人自身考えられないと思う。大体、経済が本当に好きなのかもわからないような学生ばかりと、
私が知る範囲ではそう思ってしまう。

何かになることを否定する教育制度をGHQはこしらえたのだと思うと、やはりすごい戦略だな、、
、、と感じる。そして本当に日本には自分って何と悩む若者ばかりになってしまっている。

答えは簡単。何かになりなさい。に尽きる。
人間の悩みの大部分は、自分が何にもなっていないということにある。
問題を起こす大人、不幸な人、元気がない人をよく観察してみなさい。みな、自分が何と言えない人のはずだ。
社会の一員になれない、自分の表現がない、自分がわからない、、、何にもなってないから当たり前なんです。

すごいものになどなる必要はない。怠け者でもいい、すけべでもいい。

私は怠け者です。
私は単なるスケベです。

と自分が何かわかったら、実は人生の問題の多くは解決する。こうしたことは実は戦前のものは
すべて悪いという風潮の中で失ってしまった。政治家も政治家になれず、教師も教師になれず、
サラリーマンもサラリーマンになれない、、、自信を持って、当たり前の感覚で、自分は何です、
、と言えるものがない。

今の日本人の元気のなさの根底にこのことがある。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 |

2007年2月12日 (月)

ダイエットについての結論

答えは出ているようである。
ダイエットについてだ。

結論から言おう。

ダイエットすればするほど太る。

太っている人はこれまでに何回もダイエットをしている。
ダイエットをいちどもしていない人はほとんど太らない。

以上が結論なのだが・・・。

では、一体あれほどの苦労をして自分は何をしていたのか?
自分は何のためにダイエットをしていたのか?

そう・・・。太るためだったのだ。

これではと愕然とし、怒りを感じる人が多いと思う。
当然である。

インチキ雑誌、インチキ番組、インチキ情報に踊らされた結果、それらはすべて太るためでしたとは。

しかしごはんをたくさん食べて、ダイエットなんかしてないひとって、確かにやせてるよね。

まず通常の食事をして飢餓状態を脱すること。
この時にはダイエットしている人は必ずリバウンド太りするが、まず飢餓状態を脱する必要があり、その上で長期間かけてやせるためのプログラムを自分にあったものを作る以外にない。

ダイエットすると飢餓状態認識のために体は必死でエネルギーを貯えるから、絶対に体に飢餓状態を感じさせてはまずいのだ。

すべては逆説であった。

逆説はダイエットだけではない。
心のメカニズムもほとんどが逆説。

多くの人が幸せを求める。
しかし幸せを感じている人はどのくらいいるのか。

幸せを感じている人は、自分が幸せになりたい等と思っていない。
そんなことを考えずに現実に直面して生きている。

神経症もパニック障害も治そうとして治るものとは違う。
反対にもう治らないとあきらめ、その自分で生きていくことを覚悟した人がこうしたこだわりから脱していく。

逆説を知ろうとしない人は太り、悩むことになるのだろうか。すごい時代だ。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2006年6月26日 (月)

新月の晩

ただいま、かに座新月の星のローズ水の調合を終えた。
いま、ローズ水原水は静かに星の波動を浴びているところ。

かに座のローズ水にはインパチェンスというフラワーエッセンスが選ばれましたが、これは自分を実際よりも少しでも大きく見せようとして背伸びしやすい人や、成果を焦っていらいらしたり、不安に陥りやすい状況に対応しています。

自分を良く見せようとすると、実は私たちは、自分に自信を失っていきます。
私は青年時代にみなに自分の身長をわずか一センチ高く言うクセがあった。大体、68センチか169センチなのだが、170センチと言っていた。はかる日によって、68や69になるので、当然、69をベースに一センチ追加して170センチと通していたのだ。
わずか、一センチのうそが自分に与えていた影響をその後知って、私は驚いた。うそを言っているときにはわからなかったが、正直に身長を言うようにして、どんなに気が楽か、自分が自由になったかを知った。身長をわずか1センチごまかすような話をしていただけでも、人は自分を傷つけているとは、きっと誰も信じないと思うが、そういうものなのだ。
まして色々な面で、自分を良く見せようとしている人は、実は色々な方面で傷ついている。その分、本当は苦しくなっている。そこから来る、焦り、成果主義、結果のみ重視の行き方、プロセスを楽しめない人格、、、現代人には多いかもしれない。

インパチェンスはそうした衝動を抑えてくれる働きをする。
自分でいい、この自分で生きていこう、と思うと、大体の問題は解決するというのも事実なのだ。

昨日は妖精茶会にいらした皆様、ありがとうございました。
とても楽しく過ごすことが出来ました。

妖精

茶会1

妖精茶会

素晴らしいピアノの弾き手がいらしてくれて、みんなが歌うのにすぐに伴奏をあわせてくれた。
歌集が唱歌や童謡しかなかったので、なんだかみんな無理に私にあわせてくれてたのでは、、、という気にもなるが、まあ、気にしないことにしよう。

その後はミスティの企画と合流してツインクルレースに行った。みんな少しづつ損したが、大きく負けた人もなく、楽しかったです。

競馬場

余韻残るまま、みなさまと品川駅でお別れいたしました。楽しい、一日をありがとうございました。みんな無事に帰ったかしら。

食事

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

蟹座新月

Photo_4

26日はかに座の新月。かに座の主星が月でもある。
月が隠れるとどういうことが起こるのか、、、。
新月にスタートしてことは発展しやすい、というのが占星術の原則。反対に満月には事件が多いとか混乱しやすいとか昔から言われている。これらはかなりの部分事実です。

なぜ新月にはじめたことがその後成長しやすいのかというと、多くの占い師は、その後月が満ちていくのと同じように、物事も成長する、と思っている。
しかし私はまったく別意見である。

新月にはじめたことが成長するのは、月が隠れることにより、宇宙に蔓延している幾多の生成のエネルギーが月に邪魔されず、地上に降り注ぐためだと思うのだ。
宇宙は生成のエネルギーで満ちている。月に限らず、惑星も、実は人間に制限を与えるように働いているのではないのか、、、、というのがここ最近の私の考えであり、これまでの占星術理論とまったく異なる考えである。

これまではあらゆる力は惑星にあると思っていた。これは伝統的な占星術の考えとして正しい。しかしなんだか違うと最近思う。惑星は地球に制限を与えているように思える節が色々ある。

まあ、そんなことを言っても多くの人には関係がないけど、すくなくとも月が出てない日には、物事が発展する気がいつになく充満していることは確かだ。
私の星のローズ水もそのため新月につくることで、宇宙の気、すなわち星の影響と言ってもよいかもしれない、のを受け取れる。なんども新月と満月とで実験してきてそう確信するのだが、本当に不思議なものである。まだわかってないことがこの世には本当に多い。

星のローズ水は女性に必要なローズの香りをもっとも神秘的力を備えた形で閉じ込めている。ローズの香りはそれをかぐだけで女性の肌をひきしめ、はりをもたらす効果が最近実証されたが、女性がなぜ自分の肌にこだわりを見せるかというと、女性の精神状態や心の満足がすぐ肌にでるからわかるためだろう。私がまだ若いとき、恋をした。しかし何かでもめごとがあり、別れる寸前になった。その晩、二人は別れるとおもいつつ、まだ残る愛を確かめ合うように抱き合った。そのとき、私はハッとした。恋人の肌がそれまでのものとまったく違っていたからだ。悩みが一晩で恋人の肌のはりと潤いを奪っていたのだ。女性の肌とはそんなにもデリケートなものだったのである。

肌には健康も、心も、魂でさえ、表れる。肌にこだわるのは当然なのだ。その点、男性はやはり目だ。目に表れる。目に自愛も憎しみも、恐れも、あきらめも、、、。子供の状態も目である。目に効くのが菊だという。西洋ではブルーベリーやナス、など色素の強いものが目に効く。

私はエジプト研究で有名な早稲田の教授がやっていたエジプト料理店が好きだったのだが、今はもう残念ながらないけど、そこで食事をしたとき、あきらかに目がぐんぐんよくなっていくのがわかった。しかし食事の中のどの成分がきいているのかわからなかった。食べたものの中にまちがいなくその秘密が隠されていると思い、それから何回も通って、食べるものを一種類ずつ変えていき、目に異様に効く正体を突き止めようとした。
そしてわかったのが、ハイビスカスティーであった。ハイビスカスティーが目にいいというのはこれまでに聞いたことがなかたけど、これはブルーベリー以上の凄い効果であった。乱視気味の疲れ目、ぼやけやかすみっぽさが、見る見る取れていくと同時に、何かからだがしゃっきとするのがわかる。これは凄いと思い、以来続けたが、今度は歯にはとても悪かった。そのため今ではあまり飲まなくなったが、その効果は素晴らしい。きちんと歯を磨けば問題ないので、またやってみようかしら。

パソコンを見ている時間が長いので、ハイビスカスのお世話にまたなろう。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2006年1月26日 (木)

ベッドに横たわり「さあいらっしゃい」

この所、夜に床に入ると、なんだか胸が締め付けらるたようになり
異常な動悸が始まり、なんだか病気では、の不安があった。

昼間は長い階段を昇っても、早足で長いこと歩いても何ともない。

注意深く観察してわかったのは、なんと懐かしい懐かしいパニック障害の前段階の症状であった。

パニック障害は私が20代で体験し、克服した症状である。
障害というが、実際は発作である。

劇的な症状なので、だれもすごい病気にかかってしまったと思う。
そのため、外出もできず、電車にも乗れず、人にも会えなくなる、という人が多い。

しかしこれはあっさりと治る症状でもあるのだ。
やり方があり、それを行なえば大体はすぐにおさまる。

私ももう30年も忘れていたので何かと思ったが、懐かしい症状だったのである。

なんだ、パニックじゃん・・・と私は笑ってしまった。

ならば、はい、とベッドに横たわり
「さあいらっしゃい」と前段階の違和感を受け入れていく。

30年前と同様、パニックは消えていった。

しかし症状が出ることは、やはり厳しい状況で疲れているのだろう。

グランドクロスにもろやられているのだから、なるほど、と思った。

しかし水泳と自転車乗りは一度覚えたら決して忘れない。
パニック障害の治し方もやはりそうである。

ひきこもり人口のなかにもおそらく大勢のパニック障害があると思うが
パニックになりそうになったら、その感覚から逃げようとせず
十字架にかかったつもりになり、大の字になってうけいれることなのだ。

これを恐怖突入というが、これで治らなければ、本当の病気なので覚えておくこと。

ただ恐怖から逃げてるとできない、やれば奇跡的なことがおこり
自分の体を通して心のメカニズムをのちに理解できるので
パニック障害を恐怖突入によって克服したら
悟りを得るのと同じことになる。

ありがたいことなんだよね、心の苦しみとは。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年7月20日 (水)

思わず獅子座入りした時間に

あぁ、とうとう土星が獅子座入りした。

30年前のあの暗黒の時代を思うと、土星の180度はそれだけで気分憂欝・・・。
などと運命の専門家が言ってるようでは情けないが、思わず獅子座入りした時間に易をたてた。

すると需の卦が。
需とはなるほど、という感じ。

飲食して時を待て、という意味。

水天宮は丈夫な赤ちゃんを生むお寺で有名だがこれは需からきています。
水天需、というのが正式名で
無理をせず、栄養をとり、こころ穏やかに時を過ごしながら、
子が生まれるのを待ちなさいというもの。

私もこれから2年がそんな年になるということだ。
土星という星は、その影響力の扱いに、慣れてくるとそんなに恐い星ではない。

あぁ、私も土星の扱いに慣れねばならぬ時代に入ったということだ。

大陽時代の25-34歳は確かに太陽をやらされたし、
35-44歳の火星期には確かに火星をやり
木星時代には私は確かに木星をやってきた気がする。

そして今度は土星か。

苦手なところだ。じっとしているのは。

しかしここをちゃんと越えなくては、ステキな老人にはなれない。
星が示す世代のテーマを世代ごとにきちんとこなし、冥王星まで学ぶことが星占いが語る人生なのだ。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年7月 6日 (水)

今朝、気付いた事

私は月が6室にあるため、自分が感じるところの体感には不調が多い。
ただ太陽はわりと強いので、本当に体が悪いということは少ない。
むしろ健康な方かもしれない。

ただ子供の頃に感じた健康と
大人になるほど感じる健康には違いがあることに気付いた。

今朝である。

今朝、私は自分の中に不思議な調和があることに気付いた。

この調和はなんだろうと考えると
体があらゆる菌や刺激など
本来は良くないものを取り込み、対応し、その上に築かれている調和であることに気付いた。

子供にはまだ免疫がなく、病原菌にすぐにやられる。
しかし私たちは大人になるにつれ、色々な菌に犯され、それに適応してきている。

何も菌に限ったことではない。

悩み、痛み、苦労、疲れ、不安・・・。

こういう事も人間は取り入れ、一種の免疫を築くのだ。

そう考えると、
人間の体は意外に50歳以降に完成するのかもしれない。
精神に於いてはなおさらだろう。

子供のような無垢な体が健康なのではなく
悪いものを取り入れ、消化してえるところの調和が健康なのかもしれない。

私は今朝気付いたばかりだが、
多くの人が、きっとこのようなことに、すでに気付いていたのではないかと思う。

となると、健康についても、病気についてのとらえ方も
劇的に変わることになりはしないだろうか。

病気は、それを自分の体に取り込む上に有り難いものとなるわけだし
またそう考えることで、実質的に恐怖の対象ではなくなる。

不安や恐怖や悩みも、一度乗り越えれば前ほどは恐くならない。

病気や恐怖は人を壊すものではなく
それは私たちを成熟の方向へ導く、むしろ深い愛なのかも知れない。

愛の影を見て、勝手に私たちは恐れているのだろう。

いま、体調の悪い人、悩みが深い人にそういっても叱られるだろうが。
確かに人様には言えないことかもしれないが、そんな大きな勘違いで、この世は動いている気もする。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年7月 5日 (火)

洗濯

今日は久々に晴れ間が。
たまった洗濯など主婦は大忙しだったかも知れませんね。

西洋は善悪の人間観で、できるだけ善に近付こうとする考え方。
日本は善悪は働きとしての役割は認めるが、基本は払い洗濯。

何も我々は良い人間になる必要はなくて、
たまった汚れを洗濯して本質に戻ることが大切と考える。

今の自分で基本はいいわけです。

しかし日本にも西洋的悩みが大きくなっていて、
なんで私は・・・。
なんで自分は・・・。
と、他人と自分を比べて悩むスタイルが多くなっています。

これは残念なこと。

ただ休息する。
ただ風呂に入る。
ただ気分を変える。

そういった事だけで対応できるものが、本当は多いのですから。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年6月30日 (木)

原点が大切

いま、披講の学習会を終えて打ち上げで飲みに行った帰り。
披講とは、和歌を昔の旋律に乗せてうたうこと。

やってみるとこれがとてもはまります。
さすが日本文化の原点なんでしょうね。

なんでも原点が大切で、
人が生きるのも、きっと何かの原点をもっているためで、
何もないよ、と思う人にも名前があり、それが原点とも言える。

名前には必ずそれを付けた人の思いがあるからです。

原点とは、何かにどう思われたか、ということでもある。

それを強烈に意識できている人は強い。

自分に生きる意味があると思えるためです。
思えない人はでは、どうすればいいのか?

まあ、このブログとおつきあいください。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年6月29日 (水)

霊について

ある情報誌の原稿依頼に
「霊について」というものがあった。

霊があるとかないとか言う論議ほどつまらないものはない。
それは空気があるのかないのかの論議と似ています。

霊はない、なんていうのは
ただわかってないだけの話で
論議の意味なし。

きちんとした法則があり、
霊は物質を求め、物質は霊を求める、という法則。

なぜ禊ぎに水がつきものかというと、もっとも純粋な物質が実は水。

そこで変な霊につかれて困った場合など、水に悪い霊をつけて流せるという原理。

そのため禊ぎには水がつきものなんです。
おお払えの時の「人型の人形」も同じ原理です。

人型には人につきやすい良くない霊が移るので、
人型の紙に移して、流すわけです。

何か良くないとき
禊ぎをするというのが霊と物質の関係からは
当然の結果でてくることで、
皆さんもおかしいとおもったら
シャワーを浴びることはよいことです。

きれいな水がない国は
だからそれだけでも不利なんですね。

水を汚すことは
霊的防衛を危険にさらすわけですね。

Posted by マドモアゼル・愛 心と体 | | トラックバック (0)

2005年4月12日 (火)

ニッポン放送スタジオスナップ

今日は加藤諦三先生とご一緒でした。加藤先生さすがに名回答でしたよ。
スタジオスナップ

Posted by マドモアゼル・愛 心と体, 文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき, 映画・テレビ, 芸能・アイドル, 趣味 | | トラックバック (0)