夕暮れに思うこと

私も他の人も多くのものを誤解しながらこれまで生きいると思う。
学生時代に考え、心配したこと、、、社会人になって考え心配したこと、、、子供のころ、心配したこと、、、、これまで心配したことなんて、ほとんど今思えばどうってことなかったことばかり。
人間、本当に大変な現実にぶつかれば、心配なんて言ってられないから、現実に対処する以外になくなるので、けっきょく心配したことなど何の意味もなくなる。
病気になったらどうしよう、、、、貧乏になったらどうしよう、、、多くの人がそう思う。
実際に病気になり、貧乏になったら、その時大変なだけで、心配したからどうだってこととは違う。
しかしこれまでの経済の大部分は、また人間の活動の大部分は、この、心配をベースに拡大してきた。
心配に漬け込むのが一番儲かるのかもしれない。
やっぱり一流の学校をお出にならなければ、、、、やっぱりある程度のお給料を得なくては、、、やっぱりそれなりのご衣裳でなくては、、、最後の最後まで、やっぱりこの程度のご葬儀のランクでなくては、、、と、経済は人の不安心理につけこんで発展してきた。
しかし、そうした心配はほとんど不要だったことが、過去を考えるとよくわかる。
一流大学を出たからといって、どうなるというものでもない時代となり、見栄をはって大借金をして家や車を買ってもそのことで苦しい、、、という現実の方が大変だったりする。
まだ狭い家でわいわいやっていた時のほうが楽しかった、、、、、なんてこともよくある話。
心配や不安から行動して、本当によかった、、、ということは意外に少ない。
人間って、自分の幸福をことさら考えなくても、自然な流れに沿って生きていき、その中で決断すべき時だけは決断して生きていけば、大体はうまくいくのではないだろうか。決断と言ったって、そんなに大げさに考える必要はない。
毎日、何を食べるか、ほとんどの人は自分で決めているはずだ。
なんとなく、こっち、、、、のほうがいいのだと思う。
しかしこうした決断、日々のメニューの決断においても、そうだ、カロリーを考えて、こちらにしよう、、、とか、栄養バランスが悪いので、何となく食べたい方は我慢して、こちらに、、、、というような決断をしたときだけ、あとで後悔しないだろうか。
その場だけではカロリーにおいても栄養においても正しいのかもしれないが、心と体に残った不満が夜食につながったり、ドカ食いにつながったりして本のもくあみとなるケースが多いのではないか。
だから、あれこれ理屈をつけてその時々でよい方、良い方、、、と考え、自分の体と心の声を無視している人が、実は何をしてもいつもいつも悩んでばかりいるのではないだろうか。
不幸になる名人と言ってもいい。本音で生きてない。
正しい決断、正しい判断、を求めると言ったら聞こえはいいが、結局心の奥にある不安からの選択と決断だから、本当の自分の声ややる気を失っていく。
本当のやる気を失って人生が楽しくなる道理はない。
常に得したい、不安でいたくない、、という動機で動くとこれだけ実は損をする。
自分を捨てると楽になる、楽しくなる、うまくいくようになる、、、というのは、逆説であって、損したっていい、自分の心の声、体の声に素直になろう、、、と思えば、人生は結構うまくいく。
Posted by ぶらりブログ運営スタッフ | 固定リンク










