2009年7月30日 (木)
漠然とした不安
漠然とした不安と言ったのは、確か太宰だっけ、それとも芥川だったっけ、、、ちょっと忘れたけど、彼らが現代に生きていたら、漠然どころの話しではないだろう。
時代の変化に対応するように人間の脳波も何かをとらえ始めていると思う。
独特の不安や胸騒ぎ、体調の異変によって感じる人も多くなる。なんとなくいやな予感など。
これらは快適なものとは違うが、人間はまだ見ぬ知らないもの対しては、どうしてもそうした反応をしてしまう。
たとえそこに新しい、可能性があるとしても、初めてのものに対応する際には不安を伴う。
感情はだからいつも間違っている面が多い。
感情のままに生きると、すぐに立ち行かなくなるのはそのためである。
感情に真実はあまりなく、感情は感情として味わいつくすことで、それを処理し、現実活動には持ち込まないようにすると、自分を取り巻く実態がよく見えてくるようになる。
しかし何らかの変化が近い気は確かにする。
というよりも、多くの人間がそうした波動を受けて感じ取っていることがわかる、、ということで、幕末のええじゃないか、、の踊りではないけど、何にそうした不安や期待や感情が乗り移っていくのだろうか。
現代では本当にそうしたものが少ないので、個々はつらいと思う。
アメリカのキリスト教原理主義はよく批判されるが、やり方はとても上手だと思う。
彼らは、両手の平を上に向けて、天の気を受け取るようにして、異言を語るように教えられる。
ムニャむにゃむにゃと、意味のない発声を出し続ける。それによって、天と自分がつながるように仕向けて行く。
すると聖霊が下りてきて自分を包み、時に意味あるメッセージを受け取る。子供などは素直なのですぐにトランス状態に陥る。
むかし、聖書に書かれた、ペンテコステと同様の現象が起きてくる。
アメリカのキリスト教原理主義というのは、単なる教条的な教え集団ではなく、こうした霊現象を伴う形での普及なので、体験からくる強さが確固たる強さとなっている。
これがアメリカ版のええじゃないか、、になっていく可能性は十分にあると思う。
不安に押しつぶされそうな人が、キリスト教原理団体に行けば、トランスとなり、神とつながったと思える体験をする。
これははまるにきまっている。
そしてそれをイラク戦争の正当化、白人の正当化に、神をつかって結び付けていくのだからすごい話だが。
アメリカにはこうした生きている形での宗教国家の一面があるということだ。
日本ではどうなのだろうか。
日本の宗教では、メジャーな現代宗教では、そうしたトランスに入っての神との交流的現象はすでにないのではないだろうか。
カラオケとお酒により、かろうじてあちら側とつながる程度。
人間の能力と特徴の中には、こうした本質的なものとつながる力がいまでもあるのだから、本当の奴隷制度となると、上はこうした人間の特性をどこかでつなげ、解放させる必要が出てくる。
野球や娯楽がその代わりだったわけだが、あまりに日本では急に奴隷化が進みすぎたため、吐け口がなく、煮詰まっている。
男子は会社と結婚させられ、がんじがらめの奴隷状態にある。
女子も結婚しようか仕事をつづけようか、どう生きていけば生きられるだろうかと、、安心を求めるあまり奴隷状態。
と言ってトランスして自分を解放させるものは何もない。
まあ、本当に漠然とした不安が蔓延する状況はあると思う。
梅雨は明けても梅雨空が続き、信じられない集中豪雨が多発。
昔は確か50ミリ以上の雨のときに猛烈な雨、、と言っていたと思うが、現在ではそういうことがしょっちゅう起こるので、50ミリでは非常に強い雨に格下げされてしまったようだ。
猛烈な雨は60とか70でないと使わない。そんな雨は滅多に降ることはなかった。しかも同じ場所に長時間続いて降る。
ひふみ神示だったと思うが、何十日も雨が降り続いたら、どうなるか臣民にはわかるまい、、、というような内容があった。
大地がくずれ、泥の海になるということらしい。
私のところは強粘土層の新潟地震の被災地域と似たような場所なので、豪雨は非常に危ない。
豪雨のあとに地震があったら山が消えるようなところも出てくるかもしれない。
これは漠然とした不安どころか、きちんとした心配ごとでもある。
さらに心配は、本日は親類の小さな子供を二人も連れてこれから東京へ仕事に出かけることだ。
誰も見てくれる人がなく、私に御はちが回ってきた。子連れの仕事となる。
まずはじめにニッポン放送に連れて行く。
収録中に何かスタジオのものを壊しだすのではないかと本気で心配している。
それが終わったら、せっかく東京に来たのだから、放送局のレストランで何か食べさせ、そのあと、港区の元新明神社に行き、披講学習会がある。
私は会費を集めたりしなくてはならず、どうしても子供たちは勝手に動き回るだろう。
しかも2時間もだまっておとなしくしてるはずはないだろうから、きっと歌の邪魔をする。
まあ、どうなることやら。
帰りはかなり遅くなるので、途中で寝出すにきまっているが、早く寝てくれれば救いにはなるけど、担いで子供を車に乗せ、降ろし、で、すべて終えるのが夜中の1時と読んでいる。
その後、メールチェックや仕事の催促があるにきまっているので、それに対応すると、なんだまた寝る時間がない。
そしてまた明日早朝から続けて東京。ほんと、夏休みはつらい。
きょうのブログもだから早めに書いている次第。そう思うと漠然とした不安なんて贅沢なものだ。
子育て中の主婦などは通常そんなことは考えもしないだろう、目の前の戦いに明け暮れているわけだから。
全然漠然じゃないのだ。
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米中関係重視
オバマが米中関係がもっとも大切、と発言。
なかよいことはいいが、米中関係が次のリーダーシップを国際上で発揮するには、日本を犠牲にする以外にないのではないか。
しかし米中関係緊密化はどうみても負け組同盟に思える。
どちらも自国崩壊寸前の巨像。
アメリカは各国の駐在大使館へ一年分の諸費用を送りつけているという。
お金は刷ればいいのだからどうってことないのだろうが、刷れるうちに刷って大使館運営費を一年分送りつけているという異例の措置。
そしてすごいのは、その金を現地通貨に交換しておけ、というお達しとか。
田中宇というジャーナリストが言ったので、まず裏はとってある話しだと思う。
さて、その解釈だが、一年分をまとめて送金。
それを現地通貨に換えろ、、、とは、いつドルがおかしくなるかもしれず、そうなると大使館活動ができなくなるので、現地通貨に換えておけ、、、ということ以外にないと思う。
イギリスにある大使館だけ例外とか。
ドルがだめになるということは、ポンドも同じ運命ということになる。
どうやらアメリカ、イギリス、イスラエルがリードしてきた戦後体制がひそかに崩壊しだしていると思ってよいだろう。
あと中国も同様ではないだろうか。
先に豊かになれる者から豊かになれ、、、、との鄧小平の考えは、時間稼ぎでいづれ今の中国の問題が発生することは、鄧小平には読めていたはず。
その間に打つ手も打たず、公害は放りっぱなし、、、農民は放りっぱなし、、、一人っ子政策で男しかいない、、、首相自らが、障害者の人数を8000万人というくらいだから、おそらく10パーセントはなんらかの障害を持っている国。
これで国民が黙っているとは思えない。
ちょっとしたバランスが崩れだしたら、中国はどうなってしまうのか。
アメリカは失業率20パーセントまではいくかもしれず、生活が成り立たない、、、という状況。
国民の怒りにはすごいものがある。どちらも内部崩壊目前。その両国が手を結ぶ。
アメリカは今後中国の人権問題には一切を口をはさまなくなると思う。
アメリカ自体が共産主義化同様の、人権無視どころか、かつてのポルポト政権のような国家になっていくのだろうから。
これから人権無視のでたらめやって生き延びますよ、、、の連合と考えてよい。
当然、自分らの生き延びのために、豊かな国や豊かな資源をむさぼる生き延び策というのもこの連合なら見えてくる。
それは日本しかありえない。
私は今回の日食の意味の中に、アメリカによる日本に対する大きな裏切り。決定的な背信がある、といったが、きっと起こるだろう。
これから半年以内にそのことが見えてきて、今後数年かけて影響を受けると思う。
ただ中国はそれでもまだ揺れていると思う。
アメリカと手を組むか、それとも日本と関係を修復した形のアジア時代を築くべきか。
しかしそうは言ってもやはり答えははっきりしているのではないか。
右も左も考えなかった中国人が突然、共産主義になった戦後。
考えて見れば不思議ではないか。それまでまったくなじみのないやり方で国が形成されていたなんて。
共産主義なんて中国人の誰が知っていたのだろうか。
それなのに突然、自分の国が共産主義になっている。
そして以降、上位の人たちは特権階級となり、国を支配した。
現在の中国が全国民の総意であったならアジアの時代が訪れようが、上の一部が国家を支配し私物化した状況ならば、あくまで上の考えに沿ってしか国の方向は決まらない。
なので、アメリカと中国が手を結ぶことは、私物国家連合であり、両国民は基本的には関係がない。
中国では日本人悪者化に力点を入れてきたことがここで生きてくる寸法だろう。
自民党の上も近代国家終焉がわかっているだろうから、政権など本気でとりたくもないし、あとは逃げればいいという形。
近代国家の業は本当に深い。
しかし一方で、近代国家を作って民衆を支配し、国家をのっとった勢力はもうその形ではやっていけないことも悟っている。
やっていけないとは、国家を利用して私腹と権力を増やしてきたが、ついに、もうもらえるものはすべてもらってしまった。
ただ、形骸化した近代国家にまだ巣食っている、機構や番頭的な上の人は最後までしがみつく。
実はその連合が米中連合であり、すでに実質の世界の流れとは別物であると思ってよい。
陰謀とかそういうものではなく、利益追及体と云う勝者のいることは事実であり、その勝者は、すでに国家の富はもちろん、国家を利用して、すべて得るものは得たのだから次の絵作りが必要になると思う。
その中心に米中が来ることはもうない。
米中が世界を支配すると思っている人も多いと思うが、はずれだろう。
するとオバマというのも、本気で打開策を考えているのではなく、崩壊に導くために選び出された大統領であることがわかる。
確かに彼は一貫してアメリカが失敗するように失敗するように政策を打ってきている。
崩壊が大きくなるように持って行っている。
企業をつぶして不況になっても、国を守るのが本筋だろうが、企業を温存してその負債を国が保証するやりかたで、国すら補填できない負債を背おい、国自体がつぶれるようにオバマは一貫して持って行った。
そして米中負け組連合に至った。
餌食の目標はは日本。しかしだ、その政策にはきっとストップがかかる。
アジアを中心とする新たな復興には、日本は欠かせない。中国はそのことが本当はわかっていると思う。
中国が日本を切ったらアジアの時代を作ることはできないと思うが、そう考えてくれるだろうか。
日本は海洋連合をもっと進めていけば、アジアにおける存在感に意味が出てくると思う。
インドネシア、マレーシア、台湾、フィリピン、インド、ミャンマー、タイ、、、。
まあ、これからの政治がどう判断するかだが、興味は尽きない。
日本人も、これからは本当に自分の頭で物事を考える必要が出てくる。
これまでの秀才タイプが主導する国家づくりでは動けなくなる。
人間コンピュータは不要だ。そんなものはコンピュータに任せればいい。
人と人をつないで新たな価値を創出する能力。
国と国とつないで新たな目標と新たな喜びを作る能力。
秀才にはこう言っても何のことすらわからないと思う。
いや、確実にとんでもない誤解をしながらわかったと思うのだろう。
自分にはわからないことはないと思っているだろうから。
本当の教育、本当の人間作りが必要なのだが、ごく一般の普通の人には、十分に能力があると思う。
試験勉強だけをこの世の価値だと信じてきた人たちだけがわかってないだけで、ふつうの日本人ほど優秀な人はいないと思うが、これも最近は多少不安であるけど。
要するに人情がある頭のいい人がやはり一番安心できる。
そういう人に任せれば大体は妙なことにならない。
冷たい能力優秀者にまかせて、無駄な戦争に駆り立てられ、多くの人が殺された。
その流れから、最後は竹中などの本当に冷たい人間が自分の出世のためだけに最下級労働者をつくり、この国をだめにした。
ああいう人間だけは上に立てたらだめで国民が苦しむことになる。
小泉の息子が落選するところまで行くかどうかが、国民の覚悟を知るバロメーターになると思う。
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2009年7月27日 (月)
昨日はありがとうございました。
無事に星と森国際短歌大会も終了した。
このブログを読んでかなりの人がいらしてくださったようです。本当にありがとうございました。
忙しくしていたため、お話しすることもできませんでしたが、ありがとうございました。
披講というものに触れた感想などお寄せいただけたら嬉しいです。
来年の歌題は「逢う」となりました。
心打つ恋の歌などが出てくるのでは、、、と期待しています。
多くの人は、歌なんて、趣味や生活の潤滑油程度にしか考えてないと思う。
とくに社会に出て何十年にもなるとそんな風にしか捉えられないだろう。
しかし、それは違うと思う。
歌がなければ、おそらく文化はもちろん、文明も人間の発達もなかったと思う。
さらに言えば、人間にとってもっとも大切なものが歌だと言ってもよいのではないか。
少なくとも、何度も言うが、五輪真弓の「恋人よ」一曲で、ユダヤ金融資本以上の価値があると思ってよい。
ホーミーなどはラクダまでが涙を流す音楽だ。
金融資本には命はないが、歌には命がある。この一点で優れている。
金融資本は命がないどころか、命を奪う、戦争を起こして金儲けをする。
問題外。
自民党もこうした流れの政権だった。
要するに、幸福を求める政党ではなく、金儲け、それも一部の金儲けにしか関心がない政党だった。
国民は本気で怒った。当然である。
だんだんと20世紀の歴史自体におかしなものを感じだす。
戦争は本当に必然だったのか、、そうではなく、誰かが、一部の利益のために作った装置だったのではないか。
911などは確実にやらせだったのではないか、、、もう証拠がそろってしまっているのだから、弁明のしようがない。
だから、911などの疑問点の指摘に対しては、キチンとした説明などしない。
黙止するのみではないか。
疑問点をインチキ呼ばわりしたら、本当だということがばれてしまうから黙止以外ないのだろう。
アメリカはFRBのインチキに関しても、議会が迫りつつある。
ドルをどのようにどのくらいつくるのかは、アメリカ人とは関係のない、一部の人が握っているという不思議。
しかもそこは秘密が守られアメリカ人はどうすることもできない。
しかしここにきて、あまりにあまりなことなので、議会の半数以上が良心に従って秘密の開示を迫りつつある。
このままいくとどんどん殺されるのではないか。
議員だろうが何だろうが、FRBにたてつくものは大統領でさえ殺されるのがアメリカの伝統。
要するにアメリカも乗っ取られている国だということ。
だからあれだけ疲弊した。
アメリカ人はだんだんとこうしたあまりにひどすぎる秘密を知るにつけて、単純だから暴徒化する可能性が指摘されている。
どうせニュースには出さないのだろうが、そうなる可能性が高く、失業率20パーセントは超えてくる。
そうなると暴徒化がアメリカの最大の危機となる。
これにそなえて、新たな刑務所やアウシュビッツのような収容所がいたるところにできているという不気味な話しも聞いた。
本当に私が心配していた収容所列島の可能性があるというわけだ。棺桶が5000万個用意されたとかいう具体的な話しもある。どんな暴動なのか想像もつかない。
マスコミが事実を伝えない罪は、あと数十年後には最大の罪の一つになる。
医療金もうけ主義とその体制。半病人にして医療で儲ける経済。
がんをなぜ切ったのですか、、、抗がん剤殺人医療、、、20世紀の人類に対する所業の気持ちの悪さは地球史のなかでも特筆されることになる。
難病こそ難病どころか単純なことだった、、、ということにきっとなる。
難病中の難病の統合失調症も、おそらく普通でないことを敵視、異常視した社会病理の結果であり、実は単なる個性であった、ということになるかもしれない。
それどころか、子供時代からお受験競争、、学力競争、、、就職競争、、、というものを本気になって真剣にやってきて大量の本物の馬鹿を創出した20世紀人と20世紀社会の病気が語られるだろう。
一番利口で優秀な人間が劣った人間を支配する、、、という信仰が20世紀最大の病理だった。
本当に利口で優秀ならそれでもわかるが、違うから困ってしまう。
歌の価値もわからない人間が人間を支配したらとんでもないことになる。
主知主義は結局狂喜に至る。知は最終的に狂喜にいたる事実をわからないものが上に立つ。怖いことである。
だから金儲けのために戦争も起こせる。
一方は善意、一方はだまそうとはじめから思っている人がいたわけだ。
多くの善意は、はじめからだまそうと思っているものの悪だくみに、当然勝てやしない。
そうして、だまそうとする者たちが当たり前だが勝った、、、独り占めした、、別に優秀だったからではない。
というだけの話しがこの数百年の歴史だった。
悪意と善意が同居し、ずるい悪意が勝った。当たり前ではないか。
トランプゲームをして、ずるをして勝つ、、となれば誰だって勝てるにきまっている。それを優秀などということこそ馬鹿丸出しの理論。
こうしたインチキ勝者はほうっておけば必ず自壊するのだが、我々も道連れにされる覚悟は必要かも。
せめて日本はぎりぎりのところで次の時代ステップに進める可能性があるので、さてどうなるか。
アメリカはかわいそうだが、もしかしたら強制収容所列島になっていく可能性がある。
このところの株価上昇などで、景気も最悪期を脱した、、、ということになっているが、面白すぎる話しである。
いま、どんなに株が上がっても、アメリカでも日本でも、個人はあまり潤っていない。
そんなにもうけている人はいない。
一回目でのリーマンショック以降、しかし着実に、低位相がやられた。
もっとも貧しい層にあたる多くのものは裸のまま世界に放り出されてしまった。日本でもこれは同じである。
まず、弱い層からやられる。
そして上位層の傷を受けてないところの一部の金が今度は市場にはもう投入されて、株価は上昇に転じる。
さらに政府資金が買い上げで支えるので、株価はあがる。
次の目標は、一般層の崩壊である。
最初は下層壊滅段階。次は一般層壊滅段階。
そうなっても上位層は痛まないので、また株価は上がりだすかもしれない、、、そうやって日本がダメになっても、切り離した破滅層は経済統計には乗らない。
残った者たちだけでの経済指標を出す。
ゲームに残った者だけでの指標であり、金を持たなくなった多数の者は存在がない、という形になっていく。
そして次に中間層壊滅、、、そして最後は上位層も壊滅、、、、しかしなぜか経済指標は常に悪くない、、、という妙なことになっていくだろう。要するに、落ちた人間はもう数に入らない。
残っているところだけは活況にしておけばこの手品は使える。
考えてみれば、近代化というのがその手品だった。
我々は科学の発達によって恩恵をこうむった、、、ということになるが、笑わせてはいけない。その犠牲はなんだったか。
第一次、第二次大戦での大量殺りく。
さらにそれを上回る共産主義の殺戮、資本主義殺戮もこれから始まる、、、エイズなのか、サーズなのか、鳥なのかは分からないけど。
交通事故もそうであるし、自殺もそう、医療殺人も同じ、薬物殺人、添加物殺人、低周波殺人もあるでしょうし、資本主義での殺戮方法はマスコミさえ支配化におけば、なんでも実は自由。
そんな犠牲の上での話。
こんな卑劣な犠牲があっての恩恵など、人類史的には意味ない。
なので失業率が90パーセントになっても経済指標は良好、、、という新たなインチキ方法が生み出される。
金を持っている人だけでの統計であり、指標における経済の活動である。
落ちた者、壊滅した層は指標とは関係ない。人間ではないというのと同じ。
だから株価がこれからどんなに上がっても、市民的には儲ける人などいない。
みなそれどころではなく、株などやってられない、、、という層が多くなるが、余裕がある層は儲かる。
国も買い支えをするので確実。アメリカもイギリスも同じやり方。だから株は上がる。
しかしいずれまた崩壊する。
そして次に中間層をなくし、上位層もなくして、ごくごく一部の勝利者を作るのみ。
だから何度も言うが、最後の金魚すくい段階に入っているような状況。
ほとんどの金魚はいなくなっているが、まだまだ目ざわりなので、一匹もいなくなるまで市場は開けておく。
そしていつでも市場には可能性があるように見せかけて何回でもすくいあげる。
落とされた人間は数にいれられない、、、。
最終的には独り勝ち状態となり、そうなると法令を超越するような特権もそのうち生まれてくるのだろう。
ポルノ所持逮捕なんて、その典型になりえる。
あれは都合の悪い人間をのきなみ逮捕できるために国が作ったものと言っても間違いない。
理想を言えば、ひとはもろ手をあげてついてくる、、、、という習性を上はよく利用する。
まあ、いずれにせよ、いろいろなところが露骨にその本質を見せてくる。
国に負債を負わせて、国家の完全負けの時代にこれから入る。
勝ったのは一部企業。すごすぎる金持ちのみ。
企業が国に代わって民衆支配に乗り出してくる。
ないところから物を買わせ、人を苦しみの底に追いやった企業体が民衆支配に乗り出すというのが、冥王星が山羊座に入った時代。
対抗できるのは、人情と自然な文化の力。
企業は命を生み出せず、命を殺してきた。
そして負けた民衆の目覚めがあれば、革新的科学技術を個人レベルで使って対抗できる。
さらに私たちを本当に守るのは、この技術革新の個人利用化と、文化を愛する気持ち、その波動である。
歌である。
歌、文化が私たちをこれから守ってくれる。
神も企業に乗っ取られている。
ニーチェは正しい。神は死んだのだ。
というよりも乗っ取られ、私たちが言う神はすでに企業のものとなっている。
かわって私たちを守ってくれるものは、世間に出ている神でも宗教でもない時代に入る。
私たちを最後まで必ず守ってくれるものは、歌であり、文化の喜びである。これだけは奪えない。
神は文化に鞍替えされて生き通しとなっている。
歌があり、言葉があり、それを語り、歌うものが居続ける限り、神は私たちを守り続けられる。
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2009年7月25日 (土)
好評「母殺し」
現在発売中の雑誌ミスティの企画でやらせていただいた、「母殺し」の特集が好評だという。
何度も読み返している、、、読んですごく楽になった、、、などの反響が多く寄せられているとか。
森村あこ先生、松村清先生、と私の3人の座談会からこの企画ははじまった。
以降、毎月各先生方がひとりづつ担当して、全4回通しという珍しい形。私も次回以降が楽しみである。
自分と両親の関係というのは、一度意識的にとらえなおす必要がどうしてもある。
とくに母との関係は強力なのでどうしてもその必要がある。理由のない不幸感、焦り、など。
また、親といるとなぜかエネルギーを失う、、、という人は母との関係に何かがあると思ってよいかもしれない。
一度母との関係を整理し、無意識的な母との関係を断ち切ることでしか自由になれない。
自分の人生を始めることができなくなる。これを、あえて「母殺し」という強い言葉で語った。
この4回連続特集が好評なら次は、父親不在国家日本の特殊性から、「父探し」なんか面白いのでやらせてもらえないかと考えている。
人生の問題とは、すなわち両親との心理的な問題でもあると言える。そこから来る他のものへの投影が難しく思える現実を映しているにすぎない。
明日はいよいよ短歌大会。
歌というリアルな体験の喜びがあるのでここまで続けてこれた。
この世もリアルな実体が私たちを支えており、悲しみも苦しみもノイズも本当は実体ではないのかもしれない。
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夏休みスタート 短歌大会のお知らせ

私のことではありません。世間は夏休みがスタートする時期を迎えたようですね。
私はやっと昨日、エクリプスソープの発送を終え、今度は星と森国際短歌大会
の準備というかぎりぎりの支度でおおわらわです。なんでこんなに忙しいだ、、、と思っていたら、いろいろなことやりすぎてるんじゃない、、、というお話し
が。確かにそうかも。しかしどれも大事なことばかりで。だからこそやることとやらないことを本当は選ばなくてはならないのですが、とにかく色々やってしま
う。そのため睡眠時間が減らされてしまう。こういう流れはダメですね。今度こそ変えるつもり。しかしまだあと数週間は無理でしょう。
ここで、星と森国際短歌大会のお知らせ。
こ
れは私が主催する短歌大会で11年目を迎えます。まいとし3000首ほどの和歌の応募をいただき、その上位3首を、実際に披講する式をやります。
入賞歌を
披講する民間最初の会で、それ以降、これを取り入れて下さる会が増えてきています。と言っても、披講できる人が少ないので、私どもが出張して披講するケー
スがあり、ありがたいことです。
7月26日 午後3時から4時まで。
日本出版クラブ会館 きくの間 3f
神楽坂にあります。飯田橋からも行けます。場所などはhpで調べてください。
和歌を実際に歌うことは、不思議な感動があります。いくら詩歌を文字で追っても限界がありますが、歌は体験できる世界ですので、そこから得られるものが貴重だと思います。
式典は無料でどなたでも参加できますので、聴きたいと思われた方はいらしてください。無料です。受付がありますが、愛先生のhpを見てきました、、、と言えば、まったく問題ないようにしておきます。
ただし、3時ぴったりに扉を閉めてしまい、以降は演奏の静かさを維持するために入れなくなりますので、3時前に着くようにしてください。こんどの日曜日の午後3時です。写真は奉納歌会の模様で短歌大会は洋服で行うスタイルです。
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2009年7月23日 (木)
皆既日食記念エクリプスソープを終えた

本日0時より始めたエクリプスソープづくりの最後のソープをただいま固形中。
2時間途中で居眠りしただけであとは休みもとらず作業続行。
本当に丸々一日かかってどうにか予約分を作り終えた。
写真は出来立てのエクリプスソープです。
手前のイエローの方。
後ろは海のイメージでラぴス原石を置いてみました。飾りです。
さあ、これで日食も終え、半年から数年かけて、これまでとは違う、、、という時代の流れになっていく。
数日前には、木星に地球大の巨大隕石が衝突したらしい。
太陽黒点の突然の発生といい、太陽系の動きが激しい。
木星に巨大隕石衝突は予知できなかったのだろうか。
以前はシューなんとか彗星のときには、かなり前から木星に隕石衝突の予報がでていたけど、今回はぶつかってみてはじめて知った、、、という感じ。
しかし地球規模の隕石ってなんだ。そんなのあるのかしら。
要するに軌道を持っていた彗星なのだろう。詳しいことは調べてないのでまだわからない。
しかしこれもまた大きな意味があると思う。
数年前にやはり木星に7個ぐらいの彗星が衝突してしま斑点の状態が乱れたり、木星にすっぽり穴があいたように見えたが、あの時も、木星の力が何か変わった気がした。
本来の木星の働きと異なる影響力となったように感じた。その状態は今もまだ続いている。
木星はこのところ痛めつけられているわけだ。
占星術がいう意従来的な木星の意味が変化しているように感じる。
この感覚は私は木星がさそり座に入ったころにふと感じ始め、いて座に回帰したとき、間違いなくそうだと思った。
木星は占星術では最大のベネフィックであり、天のサンタクロースと言われるほど、多くの幸運を私たちに与えてくれるが、そうした木星の意味が変わりつつある。
拡大された意識、集合している意識、という観点が大きくなっていて、目先の利益や損得とどんどん離れた意味になっていっている。
今回の皆既日食に合わせるようにして木星に彗星が衝突するというのは、こうした集合意識に対抗する策動があるのだろうか。
どこかの銀行の履歴がすべて紛失するというあり得ないことが起きてるらしいが、悪事を隠すためにはなんだってする、、という露骨な段階も始まっている。
木星はネット社会の発展にも影響を与えたと思うが、ネット通しでの意識の拡大、そして連帯、をはばもうとする動きが今回の彗星衝突と関係しているかも。
情報体系を一度ご和算にいずれされるかもしれないね。
間違いなくこの世は一部の人たちのために都合よく動かされている。そのことを多くの人が勘づきだしている。
日本では自民党に大勢の人がいかっているが、大急ぎで国民に隠さなくてはならないことがきっとやまずみ状態なのだろう。
かなりでたらめな無理を通そうとしてくるだろう。
皆既日食を境に、民衆と上との対立がはっきりしてくるようだ。マスコミがどう態度を変えてくるかも関心を持ってみていたい。
今のところ自民と従来勢力にあきらかについている。
しかし現実がわかってくると、なんだか独特の寂しさを感じてしまう。
多くの人は、ふつうの家に生まれ、親に愛され、幸福を願われながら育つ。どこの国でもどの地域でも同様だと思う。
そうして成長していくことは幸福につながっていくと誰だって信じようとする。
しかし私たちが育つ世界が、実は冷たい者が上にいて、冷たい者のためにしか私たちの存在意味を認められない、、、としたら、それはさびしいことなのだ。
冷たい者は、私たちのことを単に労働力として見る。
単に肉体として見る、単に邪魔者として見る、単に臓器として見る、単に支払い者として見る、単に自由に扱える軽い存在として見る、、、そういう中で夢と希望を持って生きてきたわたしたち、そして人間。
それはあまりにいとしく、あまりにあわれではないか。
学生時代には芸術を語り、ソポーツと楽しみ、旅行に行き、本を読み、そして恋をする、、、しかし社会に出てだんだんと私たちはいろいろなものを失っていく、すべてがお金や仕事に置き換えられてしまい、そのことをあたりまえだと言われる。
恋すらも、出産すらも私たちは、仕事の責任の前に放り出すしかなくなる。これを間違っていると、そろそろ言わなくてはいけない。
時間を取り戻さなくてはいけない。誰の時間を生きているのか。走って電車に飛び乗るのは、誰の時間のためなのか。上は逃げ出している。
いま自分の時間を取り戻すのによい時になってます。
学生の頃、よく聞いた曲をもう一度聞いてみる、、、自分も取り戻してみる、そんな皆既日食もあるだろう。
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2009年7月22日 (水)
つながる能力
人間には人と、また動物と、もしくは自然と、つながる能力がある。
それを分けて分けて細分化し、個人の力を奪ってきたのがこの数千年の歴史だった。
しかし意識をつながる方向に向け、自分のからだの感覚を何かとつながる意識に合わせれば、神秘的とも思える体験をする人もいるという。
もともと持っていた能力なのだから、意識さえそうなれば割と早く実感できるのかもしれない。
なんでもそうである。
人間は幸福には慣れるが、不幸には慣れない。快適で幸福な状態が本当だからだろう。
苦しい時は何かが違っている。何かが間違っている。
あえて苦しみを受け止めるという場合をのぞいて、不自然なことは体や心が教えてくれる。
よく胸騒ぎというが、あれは体験したことがあるが、何となく、、、何というものとは違い、ものすごく、はっきりした、決定的な気分であった。
そのあとに空き巣に入られたのだから、胸騒ぎはあたっていたわけだ。
分断される不快さが胸騒ぎだとすると、つながる感覚はまさに喜びであろう。
私は時代は喜びを主にする時代に変わっていくと思う。もう試練は十分である。
試練を通さずに人間はもう成長していける、そういう時代になっていくはず。
とはいえ、まだまだ苦しみはあるだろうが、そのことさえ信じられれば、どんなつらさも喜びのつらさとなる。
苦しいがうれしい、、、つらいがはりきれる、、、そうやって生きていくとき、きっと物事はうまくいく。
神様が後押ししてくれているからだ。
さて、22日の午前0時半になりました。
エクリプスソープ制作の準備も完了。これからスタートします。
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2009年7月20日 (月)
海の日 エクリプスソープは締切ました

私の年代ではまだ海の日って聞くとよくわからない。
休みの実感がなく、本日もオフィスに出てきた。
遠方からいらしていただいた面談のお客様もおいでで、朝からお仕事だった。
いよいよあさってが皆既日食だが、どうやらお天気は雨予想。
ただ沖縄方面は晴れるようなのでよかった。
私は雨だろうが晴れだろうが、窓から眺めるだけでエクリプスソープをつくり続ける。
天体の運行に従ってなんらかの作品を作ることは、自分が宇宙のリズムの中で暮らしている感覚を知らないうちに呼び覚ましてくれる。
もうこうした試みをつづけて4年以上たつが、天体の動きに即して人間も自分のカレンダーをこしらえるのは、あと100年もしたらきっと常識になっていると思う。
温暖化も寒冷化もすべて太陽の活動によってもたらされることを思えば、天体を意識しながら暮らしていくのは、迷信どころか合理的ではないか。
本当の占星術も、天文観測所と組んで、太陽活動の数値を分析しながら行うのがベターだと思う。
今年に入ってから黒点が消失する日が多かったものの、突然巨大な黒点出現、、、と、太陽活動は日々変化するわけで、本当なら天文観測と占星術は、また数百年の時間を経て歩み寄りを始めることになる。
ただ、現在の科学迷信信仰のもとでは、占星術は退けられてしまうと思うが。
しかしシンボライズされたものと、人間意識の関係などは、もう無視できないことがわかっているのに、科学がその方向に胸襟を開かない限り、科学は迷信信仰になりさがっていくだろう。
人間をしらずしてその体だけを科学しても本当の医学の成長はないと思うし、何より、太陽が沈めば世は暗くなり、太陽が出れば世は明るくなるのだから、天体と地峡に因果関係がないわけがない。
あさっての皆既日食と、9月13日には土星と天王星が衝の状態となり、しかもその頃、土星の輪が消える。
こうした天体現象の重複は意味が拡大しそうな気がする。
占星術はあくまで地球から見た天体の状態を元にするわけで、実際に土星の環が消失するわけではなくても、その輪が消えて見えること自体に意味がある。
人の横顔にふっと、愛情の表情を見たり、冷たさをみたりすることはあると思うが、顔が異なるわけではない。
土星の環の消失もそれと同じことである。
やはり意味があるのだ。
それも戦争を招くといわれる土星、天王星の衝と同じくしてである。
まだ時間があるのでこれについてはゆっくりレポートにまとめるつもりだが、旧勢力が今後に及んでまだ戦争を起こそうとしていることは事実だと思う。
日本もそうした勢力の中の一員として自由主義経済の中に取り込まれてきた。
残念だが事実である。イラク侵攻も容認したわけだし。
今度も同じかもしれないが、時代を動かす力学が変わりだしているので、従来勢力について行ったら未来は築けない。
民主党の方向性はそこらへん、どうなっているのだろう。
政治家レベルでいえば、民主党はかなり心もとなく、まあ、はっきり言って大した人はあまりいない。
しかしここは頑張っていただき、正しい道へ邁進してほしい。
とにかく戦争を容認しない。アジア同士では決して争わない。
景気対策などは下手にやるよりも、幾重にも用意された国民互助、救済システムを早く構築した方がいい。
救済システムとは、今夜食べられない人、今夜泊まるところのない人、今、病いでどうにか助けなくてはならない人、金がないけど、臨月が近づいている人、、、、そうした、最後の最後の救済をまずしっかり機能づける。
これには本当にあまりお金はかからない。ここから始めるのが政治である。
これをすると、ほかの大多数の国民が国にたいする信頼を持つに至る。
誰だっていざというときの不安や心配がある。
しかしこの国にいる以上は、最後の最後のところは必ず助けてくれる、、、、ということになれば、その効果は絶大である。
大企業を助けるよりもずっと国としてのまとまりがすぐにできる。こんな簡単なことがわからないでいた。
また、世界中に日本政府食堂をつくる。ここでは食べられない人が食べられる。
堂々と上がる日本政府食堂の日の丸を見て、ああ、助かった、、、これで今日一日は生き延びられる、、、、、という安心を全世界の貧しい人間に与える。
戦争が時代推進力をうしなう時代には、軍事をいくらもっていても誰からも尊敬などされない。
もっとも弱いものを救って助けてあげる、、、という政府活動こそが、国際政治のリーダーシップを獲得する最大の方法になる。
WHOやユネスコにまかせていてもこれまで通りではないか。日本政府食堂、日本政府病院がやることだ。
これにより、全世界を旅する日本人の安全が図れる。
日本人であるということだけで、世界の人々は微笑みかけてくれるようになる。
全世界の人々が、日の丸を見て、ありがたさから涙を流す、そんな国にしてしまうことだ。
そんなおばかなことは、日本人にしかできないだろう。
しかしそこにこそ、次の時代の本当のリーダーたるカギがある。
このことに日本の上は何としても気づかなくてはいけないと思う。
武力で人を動かした時代、
金で人を動かした時代、
そして、次は、慈悲と感動で人がまとまる時代に入っていく。
本日の24時をもちまして、エクリプスソープのご予約の受付を終了しました。
たくさんの方のご予約をいただき、ありがとうございました。
なを、ショップマドモアゼル・愛に、エクリプスソープ制作のお知らせ、を掲載しましたので、ぜひお読みください。
ありがとうございました。
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恋愛本位制
社会の仕組みには資本主義も共産主義もあるが、もっといいのは、恋愛本位制ではないか。
この世の価値のかなり上の方に恋愛を位置づける。
社会システムも経済システムもそれによって動いていく。資本で社会が動かせるのなら、恋愛によって動かせないはずがないと思う。
テレビやマスコミを利用して、それこそマインドコントロールに近いやり方でいろいろな商品を買わせようとしているが、そんなみみっちい真似をするよりも、しっかりと恋愛本位でものを買ってもらうほうがもうかるのではないか。
恋愛は究極の自己実現とも関係するから、魂にまでその影響は当然入り込む。
車も家もおいしい食事も、そのほとんどの購買動機の大本は、恋愛欲求と関係している。
愛する者の存在抜きに、車も家もディナーも存在しない。
すでに結婚している人でも、恋愛本位制でまったく問題なし。
その対象が配偶者であり、家族であっておかしくない。
配偶者や家族に対してそうした心の交流ができない場合は、恋愛感情本位で日々を生きることもできるわけで、それでも十分である。
人間活動の基本に恋愛欲求を置くことで、実際に相手がいようがいまいが、矛盾は起こらない。
神だって実際に見た人はほとんどいないのだから、恋愛本位になっても問題なし。
だいたい、北がミサイル発射とか、、イラン攻撃とか、イスラエル戦艦がスエズを渡ったとか、、、恋愛と関係ないところで世界は動いているように一見感じるが、実際はそんなことはあり得ない。
金しか関心がない冷たい会社のトップだろうが、戦闘行為にしか未来はないと思う人も、結局は恋愛の不満足や劣等感から来る代償としての金であり、武力であるというのが、本当のところではないか。
恋愛に関連した劣等感ほど強いものはなく、この虚無を埋めるために、気付かないために、人は金も追うし、戦争だって起こす。
だから最初から、この恋愛本位とすることで、その正しい体験、正しい、終わり、ただしい解釈ができるようになれば、結構この世はユートピアに早変わりするかもしれない。
昔、ピンク映画の監督をしていた人の言葉が忘れられない。この世は右だって左だってどうだってよく、、、性が解放されたおまわりさん、性が解放された先生、両親、パン屋さん、やくざ、泥棒、、、みんなが解放された性ばかりなら、こんなに楽しい世の中はない、、、町はない、、的なことを言った。その通りだと思った。
さらに恋愛本位なら性の解放も当然含まれるから楽しさ倍増するだろう。
恋愛の重要性を知り、その価値感を胸に毎日のパンを作る人がこしらえたパンはきっとうまい。
おまわりさんも人を見る目が違ってくる。
販促切符を切る際にも態度が違い、そこにはうるおいがある。
規則、権利、義務、という牢獄本位制の時代が恋愛本位制の変わる楽しさ。
どんなに金持ちになっても、五輪真弓が歌う、「恋人よ」一曲の世界に勝てはしまい。
麻生など、最後は自分の人生を解散時に見せてしまえばいい。
おじいさんは「ばかやろう解散」だったが、麻生は何か歌でも歌って解散するというのが面白い。
政治の価値観を離れ、金の価値観を離れ、自分の人生を見せつける。
馬鹿だ馬鹿だと言われ続け、確かにそうだから仕方ないけど、お前らよりも日本人の心は持っているぞ、、というところを、歌や何かで示してからやめる。粋なところはあるはずだから、麻生ならできるはず。
そのくらいしなくては、面白くない。
馬鹿な古賀、馬鹿な東国原、結局は冷たい計算しかない公明、大阪知事、情けを忘れた日本人の馬鹿どもに、一言、何か自分の生きざまを言ってやれ、、と思う。
なんだかんだ言って、私は麻生はそんなに悪い人には見えなかった。ただ仕事を間違ったし、よってたかって周りに振り回された。
しかしあれだけ孤独の際にまで行くということは、人生の価値観の大転回のチャンス。
一種の超越した思いを最後に日本人に示すことで、勇気ある生き方、金や権力よりもずっと価値のあるものを示せ。
それが最大の仕事になるはず。まずできないとは思うけど。
ダミ声で、最後に、麻生にしか吐けない言葉を言ってから去って行けば、日本人の覚醒に一役買うこともある。
要するに辞世の言葉と同じ。見事な舞台が麻生に与えられているのにと思う。
これも恋愛本位制の考えだとよくわかってくる。そうしたことの方が今は重要なのだ。もう金や権力ではないよ。
麻生は自民党の醜さを本当に引き出してくれたと思う。
そのため自身は苦労したけど、総裁選不利を見越して中川などの馬鹿な画策を引き出したし、どうせ裏で小泉などが手を引いたものだろうが、とにかく醜いものを引き出した。
公明などもヒステリックに自民に迫っているのだろう。
麻生は人間とはこんなに醜いものだったかと、本当に今思っていると思う。きわまった世に、腐敗した世に、まるっきり反対の価値観を堂々と出す。
そうした英雄の仕事が最後に待っているので、頑張ること。舞台装置は整いだしているよ。
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避難場所
精神が危機に瀕するような状況が続くと、人はトイレが近くなる。
何度もトイレに席を立つときは、自分ひとりの避難場所を求めている、、ということが多い。
会社にいることにストレスを抱くOLはよくトイレに行く、、、ということは起きやすいと思う。
精神的に追い詰めらたOLに限らず、現代人には避難場所が必要になっているのではないか。
自給いくら、、の世界は分断された世界において自分を押し殺す構造を持っている。
そうした仕事が合理的だと捉える上層部と、働く人との間に深い溝ができてきた。
占星術的にはこれも太陽が月を隠す状態と似ている。
太陽は明るく大きいので、月を隠してしまう。
しかし月が太陽を隠す日食が何十年に一度か、その地に訪れる。
目に見えない、霊的世界、本能の世界が、分断され効率化された世界を打ち砕くときとなる。
個の生命の輝きよりも、全体の生命の流れの中での自分に目覚めたくなるとき。それが迫っている。
そうした月が表す非合理的な無意識的な本能的な自分と出会える場所は、現代では、わずかにトイレだけとなっている会社もあるかもしれない。
避難場所がどこにもなかった人にはつらい時代だったと思う。
会社にはもちろん、家にも自分の居場所が確保できなかった人は、通勤の孤独の中で、トイレの中で、無意識の自分との対面、無意識の自分との融合を図ってきたかもしれない。
現代人が自然を失った意味あいは、大きい。
分断された約束の世界、自然から乖離した人工の世界、、、そこで過去の感情の集積を持つ人間が生きていくこと自体に本当は無理があった。どうしても避難場所が必要だった。
私は昔から家がなぜかたくさんあったが、それは無意識的に自分の居場所、避難場所としてそういうものを機能させていたからかもしれない。
主婦の居場所はまな板の前に立つという人もいると思う。
まな板の前で包丁を扱っているときは、まぎれもなく自分の場所であり、それは守られている避難場所ともなっているだろう。
そんな流暢なもんではないよ、、と、家族の多い主婦はおもうかもしれないけど。
台所は聖域と呼ばれることがあるので、他の人は入り込んではいけない、、特別な場所としては機能しているはずだ。
主婦は孤独を感じた時、孤独を必要とするとき、無意識にまな板の前に立って包丁を扱うのではないだろうか。
立派な避難場所であると思う。
避難場所を失ってしまった文明にこれから反省のときが訪れようとしている。
一部の太陽の意思が究極にまで拡大し、その支配の構造が隅々にまで行きわたり、大勢の人が自然から離されて歯車になったそのピークに起こる皆既日食。
夜の闇の中に閉じ込められていた多くのものが徐々に徐々に復活を始め出す。
植物を成長させる神秘の力は人間にも注がれているはずで、どこかにあるかもしれぬ大きなゆりかごを求めて現代人の魂の旅が始まるのかもしれない。
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2009年7月16日 (木)
皆既日食まじか
皆既日食の日が近づいている。
この日に何かが起こる、、、、的に考える人が多いようだが、まあ、新月トリガーとして起きやすいことは確かなものの、皆既日食の意味はもっと長期的で深い。
皆既日食以前、以降、、という時代の分け方ができるぐらいの変化を暗示しており、その日どうこうではなく、それ以降の時代の変化が大切。
具体的にいうと、皆既日食以降、半年から数年の間にみられる大きな変化、と考えておくといいと思う。
すでにこの予兆は日本では政権交代、アメリカでは黒人大統領などの誕生という形で、起きている。
ここで皆既日食の意味をおさらいしたいと思う。
占星術原理では、月が太陽を隠す、、、ということの意味は大きい。
太陽は昔は王権を表し、王様お抱えの占星術師が、もしも日食を占えなかった、日食を予知できなかったとなると、それは重大な過失となり、命を奪われても仕方ないようなことだった。
王権を月の民衆が転覆させる危険は、王様にとっての最大関心事であり、何としてもそれを阻止しなくてはならない。
そのための占星術師のお抱えだったわけで、日食を占えない占い師は問題外であった。
占星術の歴史から考えると、占星術師の仕事で最も大切なことが、この日食を予知し、その影響から王権を守り抜くことにあったと言ってもよい。
今季はしかも皆既日食。何も起こらないと思うほうが間違っているぐらいの重要な星の配置である。
ただし、その日に何かが、、、というものではないというのは、先にも述べた通り。
月、すなわち民衆や民意が、太陽、すなわち、現在の権威、権力を覆い隠す、、が正しい基本解釈となる。
これを具体的にあてはめると。
日本では、権威の中枢に君臨していた自民党の下野。
都議選、さらに8月30日の衆議院選挙の予想される結果を思うと、その通りであり、まさに、本当にそうなっているではないか。
占星術はこのように非常に優れた面があるのだ。
海外では、皆既日食は見られないものの、その意味あいから逃げられるものではない。
今回の日食は、アメリカの衰退、解体、を暗示していると言ってもいいと思う。
世界に君臨したアメリカを太陽とするなら、民意がそれを覆い隠す。すなわちアメリカではアメリカ国民、さらに広く解釈するなら、アメリカにしいたげられていた月、すなわち弱い立場だった海外の国々、人々による転覆の成功。
アメリカでは今後、半年から数年にわたって国内暴動、や海外からの叱責があることがうかがえる。
しかし、これを日米関係にあてはめて考えると、結構怖い可能性が出てくる。
アメリカは、マンダンアストロロジ^においては、かに座。
かに座は月が支配星。
日本はマンダンではてんびん座となるが、シンボリック的には太陽の上る国であり、太陽のマークが日章旗である点からも、太陽の暗示する国といえる。
日米関係でいうなら、月がアメリカ、太陽が日本という構図が見える。
となると、月が太陽を隠す日食。
しかも皆既日食は日本の太陽がやられる暗示であるので、アメリカは日本に、今後半年から数年にわたって、おそるべき裏切り、恐るべき反旗をひるがえす、、、と読めるのだ。
民主党政権は従来のアメリカ追従政策とは異なる道を歩みだすことがわかってくる。
アメリカ離れが鮮明になるにつれ、アメリカの仕掛けた政治爆弾や陰謀が破裂、、、そんな時代が訪れるのかしれない。
あともうひとつ、日本国内に目を向けた際、太陽はまさに天皇制であるので、ここに大きな改革や変革が暗示される。
なんとか良い方向にまた無事に変化が起きてほしいと祈りたい。
ヨーロッパでは集中化していた権威構造が弱体化し、それぞれが分離分裂していく可能性も出てくる。
半年や一年程度の動きではおしはかることはできないが、EUの統合は後退する可能性が出てくる。
ただ日食は悪い面ばかりを意味するものとは違う。
月に隠されることで、かえって太陽の輪郭や本質が見えてくる場合がある。
本当の権威とは何か、本当の王とはだれか、、、が見えてくる。やっぱり怖いね。
7月22日には私は皆既日食を記念してエクリプスソープを作ります。
0時から開始して24時までフルに24時間ぶっ通しでソープづくりに励みます。
本当は、24時間というのはあまり意味はないのだけど、その日一日を皆既日食デイととらえることで、そうしたいと思います。
締切りが迫っていますので、お申し込みご希望の方は、愛ショップにある詳細をご覧ください。
結構な数がすでにご予約いただいていますので、おそらく全部できるとは思いますが、23日の0時になった時点で制作作業はすべてストップします。
行き渡らない場合ももしかしたらあるので、その場合はご理解ください。
また、本当の皆既日食タイムに制作されたザエクリプスオブエクリプスのソープも12個はできると思います。
その12個がどなたに行くかはあえて思惟を交えません。
あくまでも受付順に制作いたしますのでご了承ください。
ただし、ザエクリプスオブエクリプスにあたった方には、その旨を明記させていただきます。
私も一つ欲しい、、、けど、あきらめて順番優先でいきます。
でも、なんだか面白いでしょ。
星の動きに合わせてその気を込めながら何かを制作する作業、、、私は本当に違いが出ると信じているわけです。
今度、私が選曲するCDがまた出ますが、その際にも、ミキシングする時間帯と日付を指定させていただき、その時間のエッセンスを加味した形にしようと思っている。
はじまりのとき、、、というのが、占星術理論の大原則にあるわけです。
今回のエクリプスソープも、皆既日食のさなかに生まれたソープということで、悪いものを洗い落とす効果をその貴重な時にゆだねて作るわけです。
私の皆既日食レポートもおまけに付きますので楽しみに。受付締切りは20日です。
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2009年7月15日 (水)
全員当選は全員落選と紙一重
公明党はさすがの組織力で23人の全員当選を果たして驚かれている。
数百票差の当選もあったわけで、そのコンピュータ的な分析力は確かに凄い。
しかしである。これは逆に言うと全員落選の可能性も含む戦略ともなろう。
名簿上位者はまあ大丈夫なので全員落選はあり得ないが、投票率アップの影響をもろに受けるのが公明党になるかもしれない。
今回の選挙では投票率10パーセントアップはどうにかしのいだ。
しかしこれが15パーセントアップとなると、突然に逆風が起き始める。当選ラインがアップし、公明党はこれに耐え切れなくなるかもしれない。
先日も言ったが8月30日は自公にとっては不利に働く。苦し紛れで目先しのいだこのつけが必ず出てくる。
8月30日、、、夏休み気分も消え、選挙に一番行きたくなるような日ではなかろうか。
夏も終えて、次のことを考えたくなる、、今後に不安を抱く時期、、、自公は予想以上の大敗の可能性が出てきたと思う。
共産党は今一番面白くないものを感じているだろう。
反自公を長年言ってきて、共産党がまさに言ってきた批判が見事にぴったりはまっているのに、なんで誰もうちに来てくれないの、、、と、納得がいかない気分だと思う。そんな不満が幹部からも漏れてくる。だからダメなんだよね、、、とつい思ってしまう。
ここは、あえて謙虚になって、私どもが長年言ってきた自公への批判がまさに今回の選挙によって証明された。
おそらく国民はとにかく自公を終わらせる、、、との強い確信のもと、それが可能な民主党に票が行ったのだと思う、共産党としても国民のその気持ちは本当によくわかる、私どもがずっと言い続けてきたことが、国民の心に理解されたと思うと、本当に感謝に絶えない、、、ましてそんな中でわが党に入れてくださったかたには、、、、と、今回は国民を持ちあげなければいけないのに、なんでだよ、、、的な言動をしちゃダメ。
選挙は実は負けた時が宣伝のしどきであり、その時の印象を強烈に持たせることが大切なのだ。
負けた時に、国民の心を打つ潔さとお礼の気持ちを表わすこと。日本人はそういうことを実はよく覚えているものだ。とくにまともな人は。
一番割を食ったのは、実は共産党だと、まともな人はみんなわかっている。
だからこそ、ここは感謝し、変化の流れを作った党としての感謝と自負とプライドをもって堂々としていれば、次の選挙で良い結果が出せたのに。次ってすぐでしょ。
人の心を打つための選挙対策が共産党はできていなかったと思う。心がなければ仕方ないか。
共産惨敗の中でも変化が始まったことをもっと感謝をもって肯定するべきだった。
しかし幸福の科学は弱かったので驚いた。
全員最下位だったらしいが、やっぱり選挙って難しいのかな。組織力も会員数もそれなりにあったと思うけど。
しかし何で私はこんな選挙結果のことばかり話しているのだろう。
まるで選挙なんかに関心もなかったし、政治にも関心がなかったというのに。
無党派層がおそらく私のように変化し出したということだと思う。
この国は本当は無党派層が第一党なのだから、この層が動きだすとこれまでとはちょっと違ってくる。
8月30日までには、世界でも色々なことが起きてくる。
ビッグ3の話しが出てこないが、じわじわと失業率が上昇することで臨界点を超える。
さらにAIGの破たんがある日突然襲う、、、長期金利の突然の上昇、、アメリカ国内での大規模な暴動の発生、中国でも同様で内戦に似た状況が訪れる可能性だってあるかもしれない。
サミットを途中退席した中国首相だが、サミットつぶしではなく、なんらかの危機を感じてのものだろう。
イスラエルの暴発、アフガンの戦況、イラン情勢など、まあ、北朝鮮を含め、豊富な危機装置がそこらじゅうにある。
こうした危機を使いたい勢力と、混乱を利用することは時代遅れだと思う勢力の拮抗が独特なストレスを生みだしている。
こういうときは一月先のことさえ見えない時だから、8月30日というのは、かなり先でもある。
しかし大きな流れは変わりようがなく、自公が盛り返すことは基本的にはあり得ない。
前にも言ったように、ポルノや痴漢騒ぎなどを計画的に起こす、、、的なこともあるかもしれないが、状況はもっと深化しており、一介の人気の動向という状態をすでに脱している。
当初私が予想したとおり、東国原の影響など無意味であることがはっきりしたが、もう小泉的な人気とりのようなものが中心になる時代ではないのだ。
みんな怒っている、みんな食べられなくなっている、、、、それどころではないのだ。
民主もまだそのことはあまりわかってない気がする。
国民は目先のことではなく、本気で国を変えたくなっているということ。
この国が甘い汁を吸う人間たちによって乗っ取られてきた、、、ということを国民は肌で感じ取っているのだ。
国民を助けるには、まず、何重にも張りめぐらされた互助制度、どうなってもとりあえずは暮らしていけるセーフティネットをこしらえることだ。
その上で、これまでの政治のずるさ、インチキを暴いていく。
官僚の上の方の資産調査だって必要かもしれない。何百億持っている人もいたりして。
国家公務員でなんでそんな金が持てるのか、、、という人が何人も出てきたりするのだろうか。
わけらないけど。
何であれ真実を表に出すことが大切であって、私はその後は大目に見て許してやった方がいいと思っている。
悪をあばいたら、これからは絶対にそうさせないシステムを作ることが大切であって、犯罪者をつくり、その人を裁く復讐に力を入れていくと、またダメになると思う。
どこかで大罪でも反省したら最後には許してあげる。
政権にそうした慈悲の度量がないと次の時代を作れないと思う。
革命の間違いは常にそこから始まるのだから。
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2009年7月14日 (火)
東京都議選
いろいろと書きたいことはあったが外出が多くて時間が取れずに書けなかった。
選挙は予想通りの結果、、、というが、民主第一党の予想はあったものの議席数逆転までは無理だろう、、、というのが大方の予想だったと思う。
なので、逆転したことはやはりサプライズだったと認識すべきだ。
都議選は小選挙区が少ないので、逆転は難しかった。今回はその小選挙区では完勝した。
島部は負けたが、これは例外的であり、小選挙区での民主優位は総得票数でもはっきりしている。
このまま衆議院選挙に流れていけば、民主圧勝となる流れ。
そこで政府は時間稼ぎに出た。
8月30日の選挙は、しかし自公には不利だと思う。
作戦実行期間を長くとりたい、、、その間に民主の醜聞を探し、嫌疑をかけ、あげつらう、、、という最後の作戦だろうが、これは失敗に終わると思う。
最後の頼みの綱の検察が動かないだろう。要するに上にいる人というのは、最後は自分がかわいい。最後まで甘い汁を吸いたい。
だから、都議選でここまでの結果が出ると、これは一大事であり、挽回を考えるよりも保身を図ることが優先されるようになる。
となるともうまとまった動きには出られなくなる。
東国原担ぎ出しの失敗がやはり大きくあとをひいている。民主悪者路線はリスクが大きくなっていくので、その前に保身にはかる。
一部のすねに傷を持つ自民の少数だけが、最後のあがきによる民主評判悪化に掛けて何らかの情報をリークするだろうが、ここまで来ると、検察自体が保身に入らなければならず、民主つぶしに動きにくくなる。
民主圧勝後に意地悪した犯人探しをされたら出世に響くだろうし。今の上はそんなことしか考えないのだ。
自民内からの造反も当然起きてくるだろうし、寝返り議員はもうすぐあとを追って出てくる。
誰もがもう自民以降の政治に関心をうつしたわけだ。
一番の出遅れはNHKや民法だが、今朝もコメンテーターの一人が、国民の熱が冷めたらまた違ってくるはずです。
日本人は熱しやすく冷めやすいので。などと言っていた。
また、東国原のことを、本当は国民はまだ期待しているのでは、、、というようなことを言っている人もいて、マスコミのあほらしさには本当に驚く。
マスコミはどうしていいか、ボスを失ってひっちゃっかめっちゃっかになっているのだろう。
石原都政、今回の選挙担当が石原息子、さらに何回忌だか忘れたが、裕次郎の50回忌でも13回忌でもない、あまりなじみのない回忌の大イベントを行うなど、都議選を応援したが、まさか野党逆転だけは阻止できると思っていたのだろう。
石原裕次郎、石原都知事、息子、、さらに石原軍団など、のご威光も御時世には勝てなかった。
8月30日の選挙がなぜ不利かというと、結局時間稼ぎすればするほど、これまでの自民体制で甘い汁を吸っていた連中に逃げ場を考え、自民の分裂を深めることになるためが一つ。
もう一つは、夏休みが終わり、選挙の投票率がアップすることが考えられるためだ。
台風頼みで投票率を下げるしかなくなる。そんな台風や地震などを起こすテクノロジーは使わないでもらいたいものだ。
自公の命綱は投票率の低さにある。
政治から国民の関心を奪い、お笑いや野球、スポーツ漬けなどにして、政治に関心を示してもらいたくない、というのが本音であり、まさにそのように自民は民意を誘導してきた。
日ごろずるいことをしているので、こちらに関心を向けないでお願いいします、ということだが、そのやり方が本当に上手だった。
その結果の無党派層の増大だが、いま、確信的に投票をしようとしているのは、まさにこの無党派層だ。
これまで選挙にいかなかった、、、人たちが、動き出す以上、自公に勝ち目はない。
8月8日やお盆あたりにしておけば組織票がまだ多少は有効だったろうに、時間稼ぎに出たあたりも、自公の上の判断はもう完全に狂っている。民意がもう読めなくなっているのだ。
これは実は民主も同じなのだが、民主には期待されている仕事がある。
これまでの真実をとにかくあらいざらい国民の前に出すこと、この一点が民主の仕事である。
このことを勘違いするとすぐに混乱が起こる。
民主ははっきりと、これだけ自公によって壊され、破壊されきった国をすぐに再生することはできない。
まず、順番がある。これまでの政治の悪事の数々、秘密の数々を、とにかく、国民にあらいざらい知らせる、公開する、、、、これを第一に優先する、、と約束するべきである。
民主の一部もかつて自民党時代に関係している、、、それも公平に出してしまったほうがかえって信頼を得る。
そういうことがまだ民主はわかってないと思うが、今はそういう時代。
自分に不利なことを言ってもいいのだ。それによって、民主は働きができる。これをあいまいにするとこの国は終わる。
強制収容所列島になってしまう。事実を知らせるだけでで3年以上の期間が必要になるだろう。すごいことがいろいろ出てくるはずだ。
まず、国庫に本当にお金はあるのか、、、ないとしたら、なぜなくなっているのか、、郵貯とは、農協とは一体何だったのか、、なぜ農業もダメになり、なぜ学校がおかしくなり、なぜエイズウイルスが入っているのをわかっていて使われたのか、許可されたのか、、健康診断とは何なのか、、企業と国の関係の密月はどうしてか、、家がなぜ高いのか、、経済とはそもそも何だったのか、、国とは一体何だったのか、、、こうしたことがわかってしまうと、何だ、、、そんなものやめればずっと国民は楽になるじゃないか、、、という簡単な答えが出てきたりし、それから変革に勢いがついてくる。
そこまで今回はやってしまわないと、あとがどんどん苦しくなってくる。
国とは、、、というところまで今回の変化は必ず行き着き、近代国家幻想から人々は自由になる、そこまで行かなければ、国家は殺人機能としてさらに露骨になっていくだろう。
中国を見れば、アフガンを見れば、これからのアメリカをみれば、そのことがよくわかる。
日本の国民も今回こそはあいまいにしないと心に誓わなければ、何代にもわたって悔いを残すことになるだろう。
要するに国は乗っ取られていたのだ。
だから今度は自分たちの、民意の国を作るという、当たり前の作業が待っている。
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2009年7月13日 (月)
技術革新とみずがめ座時代
太陽エネルギーのパネルがなぜあんなに高いのかには、政治的理由があるのだろうが、もうすぐ町工場クラスでもおそらく安価な革新的なパネルができるに違いない。
さらに水の電気分解による水素、常温核融合、さらにさらに空間からのエネルギー取得と、まるで手品のようなありがたい技術が出番を待っている。
私が中学生のころ、新聞の一面に水晶のような石に莫大なエネルギーを閉じ込めることに成功した、、、というニュースがあったのをはっきり覚えている。
しかし、その後、そのニュースの続編を聞いたことがない。おそらく圧力を受けたのだろう。
エネルギー革新はことごとく邪魔され抑えられてきたが、それはエネルギー支配することであらゆるものに支配体制と権力体制をしいており、あらゆるものに値段をつけることができる。
エネルギーがただだと、物をつくるのも、最終的にコストが安価となり、いづれはすべてのものがただになってしまう。
となると支配ができなくなる。
だから本当のフリーエネルギーにつながる技術はわかっておりながら、インチキとされ、この世から消されてきた。
中学時代に新聞に一面に載った、水晶のような石に莫大なエネルギーを閉じ込めることができるというのも、その後消え去ったことをみると、やはり本当だったのだろう。
アトランティスも水晶のエネルギーが爆発して一夜に沈んだらしいから、石にエネルギーを閉じ込めることはできるのだと思う。
それよりも、空間からエネルギーが取り出せたり、水からエネルギーが取り出せる、、、もっともっとすごいものがいっぱいあるらしい。
勉強したこともないので詳しいことは知らないが、とにかく本当らしい。
半年ほど前にもビジネスサテライトで、水を電気分解して水素を取り出すさいの熱を利用してタービンを回し、電気を起こす、、電気自動車としてほとんど完成している装置の紹介があった。
続報を期待したが、まったくなし。まだ変わってないのか、とも思った。
その社長は電気自動車の発電部分に利用してもらえたら、即電気自動車ができる。
ということで期待していたが、どこの自動車会社も関心を示さなかったのだろう。というか、止められているのだと思う。
それでなければ、トヨタやホンダは、こぞってハイブリッドなどに行きっこない。
ハイブリッドは本当の技術革新とは異なる一種の擬態のような車の段階で、思い切って、水素や水の電気分解による電気自動車に行けばいいものを、そうしてはいけない苦肉の策として生まれた車という気がする。
しかしトヨタもホンダも偉いと思う。
そんないつ何時、技術革新により、電気がただでとれる装置が実用化するかもしれないのに、ラインをハイブリッドにして大きく展開していくのだから、本気で命がけではないか。
どこかの町工場のおっさんが、海外の小さな自動車会社と組んで水燃料の電気自動車を作ってしまったら、トヨタもホンダもフォードはもちろん、一夜にしてその存在の意味をなくす。
旧技術による大企業は本当に危ない橋を渡っていることになる。
もっと言えば、軍事である。車程度なら、政治力や権力やマスコミを使って、まだまだ段階的にしかいけません、、、との嘘情報を信じ込ませることもあるいはできるだろうが、軍事だけは違う。
いくら、これはインチキです。まったく意味ないです。
と言っても、実施にそれがすごい武器だったら、どうにもならない。もったほうが強い。
要するに、本当の力でないと何も意味がない。
だから、究極兵器ができた所が強いし、さらに言えば、究極の防衛網ができたところが強いとも言える。
さらにおもしろいのは、そうなると戦う意味事態がなくなる状況となるわけで、いまどき、サイバーテロや情報戦争、さらに細菌戦争があるのだから、武器と武器がぶつかり合う意味が希薄になっている。
この意味でも一夜にして、戦争そのものの意味が無力となる時代も近い。というかすでにそうである。
私が戦争が起こせない時代というのはそのことであるが、技術革新により、人間の生き方はもちろん、人間とは何かの意味すら、新たな技術革新の元では変化してくる。
権力というものは、だから、技術革新を否定する性質をもつようになる。
ポルポトが多くの知識層の人間を殺したのも、毛沢東がそうしたのも、権力維持のためである。
馬鹿な人が多くなくては権力は維持できないためだ。
日本などでは、マスコミによる協力により、つまらない笑い、低俗な暇つぶし的な番組が多くなるのは、権力維持のために必要なことだと解釈されている。
私はもう少しうまいやり方が権力維持には効果があると思うが、しかしそういうことらしい。
みずがめ座時代とは、技術革新により、人間が自由化していってしまう時代でもある。
町工場レベルでそれが起きてくるところが面白い。
上から来る技術は抑えられているし、自由でなく、面白くもない。不思議なものである。
しかし大阪の水を電気分解して水素を取り出す発電機を作ったあの社長はどうなっているのか心配。
どこの自動車会社も相手にしなかったのだろう。
せめて生きていてほしいが、どうなっているのだろうか。
自動車会社もこの技術を取り入れ、夢の自動車を作ればいいものを、民衆をだまして旧技術をあたかも夢のハイブリッドなどと言ってラインを拡充しても、誰も責任などとってくれないと思うのに。
ある意味、偉いんだなあ、、、と思う。
本気で最新のというか、みずがめ座時代的な技術の粋を集めて、それを集大成すれば、みずがめ座時代の聖書ができる。
それを実践すれば、おそらく人間の寿命は125歳以上、エネルギーはただ、悩みの克服法、芸術の魂、音による心と肉体の融和、未来を作る精神マインドの獲得、自在に恋愛ができ、結婚が成立する秘密、、、などが、誰の手にも入るレベルにすでに行っているはずである。
それも臓器移植のような薄気味悪い技術とはまったく別のものとしてである。
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2009年7月11日 (土)
雨の景色
雨に濡れる枝葉
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雨
きれいな雨の光景を何枚か。
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「先取り文明」から「今ここで」文明へ
これまでの文明は、よりよき未来、、、夢、希望、理想、正義、、、というものを背景として拡大発展してきた。
言葉の聞こえはいいものばかりだが、どれもリアルなものではない。いつかきっと、、、も美しいが、すでに美しいものにはかなわない。
大衆には手ごたえのない夢や希望など現実でないものを与えて、本当のリアルの部分は極一部に奪われてきたのが、今の文明だ。人をだますときに、もっとも都合がいいものが、夢、希望、前進、理想など。愛情などもそれらと同じに使われてきた。
テレビ番組などでも、人生訓といえば、いつまでも夢を捨てない、、、という内容が多い。夢を追うことはそんなに素晴らしいことか。子供などは現実を楽しんでいる。大人だけが夢を追うなどの幻想につかり、現実をリアルに生きようとしない。
見つめようとしない。だからどうしても弱くなる。もろくなる。
リアルに根ざしていないから仕方ない。経済が見事にこうした価値観を利用し、人類に夢と希望を与えるふりをしながら、現実は金の奴隷として縛ってきた。金利の発明、悪知恵。未来に向けた新たなお金の創出。
人間がリアルに即して生きると、そんなにはお金や物を必要としない。だからそれだと上の人は困る。リアルに持っているお金は少ないので、未来を質にとることで、金を貸出し、いろいろなものを買ってもらう。そうすると経済は発展するので、上が儲かる。
春分点がうお座時代はまさに理想を人に追いかけさせることで人を現実には縛ってしまう時代だった。ほぼ全員が見事にやられた。経済学を本当に理解している人は実は少ないと思う。もちろん私も門外漢だし詳しいことはわからないけど、その危険やインチキ性は何となくわかる。資源を掘り起こし、いろいろな物を作り、産業をこしらえることは、本当に経済だろうか。私は嘘だと思う。
確かに鉄一トンから高級車が作られれば、単なる資源に付加価値がついて、すばらしいことではあるが、それを購入するには、未来から金をもってくることになる。現金で買える人も多いとは思うが、まだ経済が復興してないときから人類はスタートしたわけで、最初から高級品や高価なものを買える人など、王様以外にはいなかったはずだ。
だから一般はお金がなくても実は生きていられた。基本的に、お金とは、未来のどこからか、持ってくることで手に入るという性質がある。
だから、その担保は未来であり、時間を売ることとなる。
人がどんなにすごいものを作っても、それが経済の中に取り込まれると、負債とイコールの構造となってしまう。となると、経済は無から有を生み出すものとは違うわけで、決して富を生み出さない。
お金を貸し出す人以外には。
経済や今の文明は、だからお金を貸し出す人のために存在することがわかる。ではそれ以前の経済とお金の関係はどうだったかというと、まだかなりの部分、リアルと金がつながっていた。稼いだ分だけ使う、、、という形。
こうなると経済も文明も大きくなりにくい。上記の説明によってそれはわかると思う。
では一部の金持ちはどのようにして経済を作ってきたのだろう。実はこれも簡単なことなのだ。
人間を売ったのだ。男はとっつかまえて死ぬまで働かせる、、、満足な食事も与えない。しかしだんだんと学んでいき、どの程度まで食事を与え、生かしておいたほうがより利益を生むか、、、ようするに管理である。女性はもっと悲惨だったろう。
法の及ばないところに行って、若い女性を片っ端から奪い去りて、どこかに売り飛ばす、、、こうしていけば、無から一応富が作れる。経済はまずはリアルの強奪から始まり、さらに効率の良い、未来の強奪をして、ついに行き詰ったのだ。
現代の仕事の内容、企業の内容、地に落ちた倫理感などは、今始ったことではなく、文明と経済の遺伝子の中に、その中枢にもともと入っていたものだから、なぜか似ている。大消費のために戦争を起こすことも、強制収容所をつくることも、もちろんなんということはなく、できる。
なにせ、出発からしてそういうものだったのだから。
なぜ私がこのような面白くない話しをするのかというと、要するに、地球は悪魔的なものが支配してきた構造があるからだ。
とんでも話しとは違い、情のない人間が最大利益を考え、似たようなもの同士が協力しあい、時には殺しあいもしただろうが、だんだんとそうしたタイプの勝利者が多くなっていったということだ。そして強欲過ぎたばかりにすべての人類を巻き込んでジエンドとなりつつある。
本当に馬鹿にした話しである。
なぜ、学校の授業がつまらないのか、、、それは勉強自体がつまらないのではなく、勉強する目的とそれに携わる一連の内容が、非人間的で、単に一部の勝者とつくり、こうした無慈悲な文明や経済を担う人材づくりと関係しているからなのだ。
学校ですらそうなら、まして仕事が面白いはずもない。
しかし今、こうしたひとつの文明が終え、新しいこれまでのものと異なる文明が始まろうとしている。それにはまだまだ100年はかかると思うが、すでにこの流れを止めることも変えることもできない。
大きな時代のプレートから滑り落ちそうな人は必死である。これまでだって、利益のために戦争だって疫病だってまき散らし、枯れ葉剤で緑を毒に変え、何だってやる。無から富を生み出すことが金儲け至上主義者の考えだから、本当に恐ろしいものがある。
一番もうかるのは、人体だということに悪魔的な一部は気づいたので、うかうかしていられない時代でもある。
秀吉は日本から大勢の若い女性が大陸に連れ去られるのを見て、それに宣教師などがかかわっていると直感して激怒したという。今も昔も強欲な者が考えることはおなじかもしれない。
なぜ地球に平和が訪れないのか、、、麻薬、人身売買、臓器商売、戦争、不安、不幸、羨望、嫉妬、などが、金儲けに大きくかかわるからに他ならない。せめて現代人はもうだまされてはいけないと思う。
戦争は本当にしかたないものなのだろうか。私は50年以上生きてきて、知り合いが殴りあう姿も、まして殺しあう姿も見たことなどない。
個人でさえそうなのだ。
本当に簡単に人を殺すような人は極極一部であり、それも薬関係などが圧倒的に多いのではないだろうか。
一個人よりも、ずっと法的に整備され、理性もあるであろう、国家間でなぜ戦争が起こるのか。不自然極まりない。これまでの悲惨な歴史は仕方なく起きたものなどではなく、利益のために起こされたわけだ。民主主義という人気とりで、それが維持されている。
そして民主主義などという高度なだましなど必要ないと思われた地域では、いまだって法など建前で、邪魔な人間などは棍棒で殺される。
歴史の神様、時代の神様は、もう見ていられなくなり、金輪際の悪の世を立て直す、、、という宗教も出てくる。
いま起きている中国の暴動なども、暴動といえば鎮圧、という絵が正当化されるが、本当に暴動なのか。単なる人殺しなのではないかの疑問がある。しかし、中には子供や赤ちゃんもいるはずで、やはりおかしいよね。もう決してそういうことは許されない。どんな事情があるにせよだ。
ユングは人間の心の中を見抜くことで、この世が間違いなく悪魔的なものが動かしていることを見抜いたが、それから70年がたち、ユングの認識はもう多くの人の目にわかるようになってきた。嘘と方便の世はそろそろ終わりにし、安心して生きられる時代にしていこうではないか。変な人たちは、そろそろお引き取り願いたい、そういうときにきました。
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2009年7月 9日 (木)
知ったら終い
手品でも特ダネでも、一度知ってしまったらありがたさも消えるし、御威光も消えうせてしまう。
そんな状況を阻止しようと、今、世界ではものすごい情報の締め付けが行われているようだ。
中国などでは、国にとってありがたくない情報はほとんどインターネットでも閲覧できなくしている。
日本でも急にそうした動きが出ているらしい。
要するに国民に知られたらこれまでのようにはやっていられなくなる。
それどころか、国民の怒りを鎮めることはできず、国も転覆してしまう。
どの国も多かれ少なかれどうやら同じようだ。これが、以前から私が言っていた、世界は自由になるか、もしくは強制収容所化するか、どちらか、、、の意味だ。
日本ではどう転んでも強制収容所化はないと思ってはいたが、なんだかかなり危ない動きが出てきている。
マスコミも必死。
選挙で勝てないとなると、何があっても今度は解散せずに時間を稼ぎ、その間に、あらゆる陰謀を使って民主の問題をあぶり出し、逆転させることしか頭にないのかもしれない。
しかし、自民党の中にも、実は尊敬できる政治家も少ないながらいるわけで、こうした人があまりにひどいことをすると内部リークする可能性も出てくる。
また、自民の負けを確信したマスコミの一部がそうした反自民の態度に出る可能性もあるかもしれない。
何であれ、もう自民党は割れているのだから。
鳩山の政治献金問題を唯一の突破口に位置付け、これからやっていくのだろうが、もうさすがに国民に読まれている。
鳩山は私の場合はうっかりそうなってしまったが、確かに違反は違反なので、今後こうしたことがないよう、私のみではなく、同様のケースが、○○、○○、○○にもあると思うので、同一の問題として並列に扱って考えよう、、、とでもいえばよいのだ。
何よりも、解散を引きのばすやり方に国民の怒りがあるのだから、ひるむこともない。
最後の最後になると、自民はでたらめでもいいから、嫌疑だけをあげつらい、証拠などない事件の捏造を企てるだろう。
選挙の数日前にでもやれば、真相解明の時間もなく、疑いだけで相手のイメージダウンを図れる。
まあ、何でもやると思う。
幼児ポルノ規制の法律化などは、まさにこういうための法律であり、勝手にポストに幼児の裸写真を入れておいて、これは何だ、、、と言うだけで逮捕できる、まあ、信じられない法律だ。
法律などというものではなく、マスコミと一体となって行う、体制維持装置を作りたいというだけ。
幼児ポルノなどと言うと、嫌疑をかけられた方のイメージダウンは決定的になることを知っており、マスコミが騒ぐことで、政敵や邪魔な人間を倒していく。
こうやって、これまでにも、本当に人間的に立派な人を中心から追いやってきたのだろう。汚名を着せて。
戦争で負け、アメリカを親分とし、そこに取り入り、親分のいうことや思うことを先回りして行い、そのことがまったく日本人の利益に反していることでも平気でやってきたのが、日本を支配していたのだ。
だから、一度民主になって、とにかくこれまで何が行われていたかを、一度、洗いざらい、国民の前に出し、その上で、これからの日本をどうしていくかをみんなで考えること。
それ以外に私たちの進む方向はない。
まあ、みててください。
これから破廉恥な嫌疑が民主に対して誰かが仕掛けます。
最後は証拠もないようなことを、マスコミと一体となってさも大事件が発覚したように言うでしょうが、まあ、今回の宮崎知事事件と同じだと思っていること。
今度ばかりはまた自民が続投するとなると、もう、金もない、知恵もない、その上、国民の搾取だけは激しい、、、ということで、日本は未来を作れなくなる。
国民はすべてを彼らに奪われたのだから、もうこれ以上、あげるものなどない。
その意味でももう自民政治では無理なのだと思う。
自民が今回、卑劣な方法に助けられて万が一勝ったとしても、親分のアメリカがすでにもう前の親分とは違っている。
平気でアメリカの方から、ああ、自民党時代のこれが秘密ですよ、、、とこだわることなく出される絵がきっと出てくる。
どっちにせよ、同じなので、早く逃げた方がいい。
今の自民から逃げようとしないのは、すねに傷を持つやつだけ、、、ということがわかってしまう。
となると、すねに傷をそれほどもたない、比較的まともな自民議員は選挙に勝ちたいから、反自民に急展開する可能性も出てくる。
今回の東国原を持ちだした古賀も、結局は、九州における自民票を集め、自分が落選しても名簿で当選する仕組みが作りたかった、、、というのが第一の目的だったことがばれている。
要するに選挙対策の地位を使ってすでに保身に入ってたわけで、これではもう、選挙対策のトップとしての信頼は地に落ちた。
あとは、自民議員は寝がえりでも何でもやるようになる。
その前に、唯一、鳩山の献金問題のゆくえを見ている、、、というのが本音だろう。
もしこれも自民に見方しないと見たら、彼らの寝返りをもう止めることはできまい。
とにかく、民主は先回りして、きっと誰かがゴシップや嫌疑などを使ってこれからも私たちを追い込むことを考えていると思う、、、と、もう言いだした方がいい。
とくにポルノなど、どうでも犯罪者に仕立て上げられるような嫌疑をかけられるのではないかと危惧する、、、ぐらい言っておいた方がベターなのだ。
先回りして、悪人が使う手口を公開しておくこと。
それにより、自分を守ることができると思う。
たとえば、こういうことだ。
あなたを殺そうとする人がいて、深夜にあなたの部屋に忍び込んできたとしたら、真っ先に、大声で、その人の名前を呼ぶ。
犯人は誰誰だ、、、、と最大の大声で叫ぶ。
そうすれば、もし殺されても犯人の名を誰かが聞いていると思って、実行できなくなるだろう。
そして、何もしなければ、深夜に遊びにきた、、、というだけの話しで、犯人も引き下がるしかなくなる。
民主党に今求められるのは、こうしたぎりぎりの危機管理である。
マスコミを逆手に使う危機管理が必要なのだ。
私が殺されたら、○○を疑ってください、、、とあらかじめ周囲に伝えておけば、おいそれとは殺されない。
小泉などの問題点が国民にはわかってきているので、いま、幼児ポルノ疑惑などで信任をなくそうとする働きが怖い、、、とか言えば、国民は、ああ、本当にそういうことをやるかもしれない、、、と、こちらを信じてくれるだろう。
ケネディだって、私が殺されたら、間違いなく○○です、、、と言っていれば、殺されることはなかったはずだ。
いま、ここで戦争が起きたら、それは間違いなく、こうしたことがあるからです、、、と、それぞれの利益が交錯しているため、これは効果がある。
マスコミは親分が一つの時だけは力を持つが、親分が四方に分かれ、力のベクトルがどうなるか分からない時には、これまでのような力はもてない。
逆にそうしたマスコミを使って戦略を練る知恵が必要な時なのだ。
と言って、私は民主党を応援しているつもりはない。
これまでの日本人をだまし、偽り、ウソで固めてきた、その事実を、誰が表に出してくれるのか、、その一点において、とりあえず民主党に期待をしているだけ。
政権を取ればそれができるかもの、期待である。
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2009年7月 7日 (火)
七夕
このところ関東地方はぐずついた天気でしたが、七夕の今夜だけはどうやら晴れ間が出るみたい。
天の川をはさんだ二人の星の神様も安堵していることでしょう。
七夕のお祭りは、学術や習い事の向上を願う日。
字が上達しますように、、、とか、文章がうまくなりますように、、、お琴の演奏が上手になりますように、、、など、習い事の上達を願うのに良いのです。
なんだ、大したお祭りでないんだな、と思われる人もいるかもしれませんが、そんなことはなく、習い事の上達は人間にしかできないお願いごとですから、とても大切。
動物か人間かに分かれる部分のお祭りと言ってもよいでしょう。
静岡の新知事となった川勝氏は文化の重要性を心から理解されている人ですから、必ず、新しい生き方につながる試みを静岡で実践するはず。
私が昔出した森と平野に、、、の本を読んだ関西の有力人が、これは必ず実現します、、、とわざわざ言いに来てくださったことがあったが、愛先生がこうした試みの形をつくったら、私は政財界の人を連れて応援する、、、と言ってくださったことがある。
私はどうも組織だったことが苦手ということもあり、その後、個人的な文化的生き方を模索していくだけだったが、時を同じくして川勝氏は私と非常に近い国の未来像を提案され、その後も観光立国の発案などで国の方向をリードしてきた。
政府ブレーンとしてあまり有名ではない氏だが、実は小泉が言った観光立国、阿部が言った美しい日本という考えに、影で大きな影響というか決定的な影響を与えていたと思う。
新しい日本の方向を信念を持ってイメージしていたのは、唯一、川勝氏であり、それは密かに、本当に国の政策方向となっている。
しかし、小泉はじめ歴代の首相には、川勝氏のいう本当のことはわからなかったと思う。
ただ言葉の上での発言だったと思うが、今回、静岡で氏が知事になることで、新たな試みがトライできるのではないだろうか。
私は占星術師ということもあって、未来の形はすでにわかっているが、ここにきて、まさか川勝氏が政治の世界に急きょ踊り出ることで、それが形になっていくとは思わなかった。
ありがたいことである。
うぬぼれになるが、私は自分が書いた、森と平野に分化定住する時代、、、に書かれた未来がいつかはやってくると信じていたが、自分では何の力にもなれず、これを世に知らせるにはどうしたらいいかと常ずね思っていた。
川勝氏が出たことで、もうこの件に関しては、私はお役御免で肩の荷が降りたと勝手に思っている。
あと、私の考えに同調する経済アナリストの新井信介氏と、以前共著で、新たな方向を語ったことがあるが、川勝氏や新井氏などが協力していくと、凄い変化が起こせるのではないだろうか。
私自身はとにかく小さなことが好きなので、個人的にアーティストとして生きていく。
とくに声の可能性を追及していきたいと思う。
体験の世界、体験の世界へと進むごとに、物質と精神のつなぎ目にある音の世界が広がってくる。
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静岡の奇跡
川勝氏が勝った。
予想外の大逆転だったらしい。
私は川勝氏はいずれ総理大臣になると思う。象徴的とらえ方をするとそうなる。
まず、宮崎の知事が恥も忘れて国政参加の絵を見せた。
言い分は地方から国を変えるであった。
そのことが人気とりの自民のシナリオであることを見破られ、東国原の人気と自民の人気は急下降している。
東国原がち迷いごとを言い出した時に、すかさず私が言ったことが現実になっている。
しかし宮崎知事が言った、地方から国、、、のシナリオはあのことがあって国民の意識に植え付けられた。
そして国の未来ビジョンを持っている唯一の学者であり政治家となった川勝氏が奇跡の逆転勝利。
これは人がつくるシナリオではなく、川勝氏は運命のシナリオによって選ばれたと思う。
偉く高い評価だが、それには理由がある。
私が10年以上前に出した、森と平野に分化定住する時代、と前後して、ほぼ私と同じ内容の提案をしたのが川勝氏だった。私は単なる民間の占い師の言として一部で評価されただけだったが、川勝氏は確か当時早稲田かどこかの教授だったので、その影響力はやはり大きかった。
内容は私の方が早かったし深い気もするが、やはり総合的な目線からの学者の立場、そして影響力の大きさで川勝氏が時代の神に選ばれ、いずれ重要な働きをしていく人になるはずだ。
私は川勝氏がいずれ総理になると予言しておこう。私としてもまったく依存はない。
東国原が運命の神に使われて起こした地方からの国政、そしてそれを東国原ではなく、川勝が行う役に就く。
神様は本当に色々な者を使って時代をすすめる。
宮崎知事も意地をはらず、降参してちょっと思いあがっていました、、と素直に反省すれば人気は戻ると思う。
自民党はまだ彼を使って選挙戦に突入するつもりだろうが、もう足元を読まれている。
やればやるほど真剣に怒った無党派層が半自民に票を入れるようになっていく。
さもないと、どこかの若手お笑いタレントが、受けを狙って「私を総裁選に担ぐお覚悟はおありですか」とやられたら、すべてがおしまいである。
自民も東国原も笑われて終わりとなる。そしてこのギャグは確かに受けてしまうだろう。
自民にはもうそいうことがわかる人もいなくなってしまった。
大体、もう人気の時代ではないんだよね。
マイケルの死といい、人気ですべてを動かせた時代も終りに近づいている。
人気でどうかなるのは、まだ余裕がある時のことで、怒っている民衆に対して人気とりしても逆効果になる。
だから民主党も国民のみなさん、とは言わない方がいいと私は言った。
それは、選挙に大勝したときだけ、国民のみなさん、、と、党首が涙ながらに語り出した時、絵になる言葉なのだ。
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2009年7月 6日 (月)
システムから少しづつ逃げる
逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げよ、、は確かノストラダムスの言葉。
もっと簡単に言えば、だんだんといろいろなシステムから逃げて、その分楽になっていく、、、そんな風に考えると面白い。
システムといえば、まず会社、あらゆる機構、国、宗教、都会、、、もろもろあるが、もちろんすぐに仕事を辞めるとか、都会を逃げ出す、、というわけにはいかない。
できるだけそういうものへの依存度を低くしていくことがこれからは面白いということ。
もっと具体的に言うと、お金に頼らない生活に目標を立てる、、、ということもできる。
なるべくお金を使わない、、から初めて、本当に生活するのにお金がかからない、、という形を作っていく。
ワーカホリック状態だとこれができない。
仕事一途だと、どうしてもお金に頼る以外になくなる。
お金から離れた暮らしができると、人間はその分自由になっていける。
うまい具合に現代人はお金の奴隷状態にされたので、そこからいかに逃げるかが、生き方の自由と関係してくる。
これからあらゆる技術革新が進むと思うが、それをうまく利用すると、意外にお金から自由になれる面が大きくなると思う。
食費を安く切り詰める、、、と思うとわびしい気持ちとなって長く続かないが、健康のために体にいいものを少量たべる、、その結果、食費が浮いてきた、、、というやり方がベター。
まずは見栄と関係していた出費から始めるといい。
マイケルジャクソンに500億円の借金があるといわれるが、本当かうそかは別として、確かに多く稼げるからお金から自由になれるというわけではない。
まずは見栄と関係するお金を使わないこと。これだけで結構楽になる人もいるだろう。
私たちは巧妙にお金で縛られてしまったのだから、それを使わない生活を獲得することで、楽になっていける。
このことをはっきり認識した方がいい時代に入った。
そんなことをするとかえって景気が悪化し、よくない、、、と思う人もいるかもしれないが、不要なものや欲望をかきたて、未来の金まで使ってしまうような経済がいま崩壊しつつあるのだから、そうした批判は当たらない。
早くつぶれてもっと自然に沿った経済に変化するためにも、金と関係するあらゆるシステムからすこしづつ逃げるに越したことはないと思う。
というのは、やはりこの経済はもうすぐジエンドすると思う。
借金が多すぎてもう身動きが取れなくなっている。
あくまで表面的にごまかしているが、CDSの対策など打てるわけがなく、金融は崩壊したのだ。
もうすぐびっくり箱が開き、まさかあの会社が、あの銀行が、、ということもありうる。
それどころか、大国のデフォルトももしかしたらではなく、常識的に考えてわかる。
いま一時的に平穏を装っているのは、逃げ場を作っているから。上の人の逃げ場。どこまでも民衆は見事に馬鹿にされたのだ。
私がなぜ、昨日のような藤圭子の歌に執着したかも、金により、民衆が深く深くだまされた時代の悲しさ、苦しさ、わびしさと、あの歌の感性が通じるものがあったためかもしれない。
人の人生がわびしいのではない。
金のシステムにだまされていくことが人生のわびしさを生んでいく、、そうした構図があり、演歌はその直感として開花した面がある。
100年前の絵画にもそんな直観があった。
さすが芸術や文化は直感的に時代の本質を予期し、とらえる。
若い男女が恋をして共に住みだす。いまのカップルでは一緒に暮らしても、どうしても金銭面での問題が出てくる。定職につけなければなおさらである。
まして子供ができる、、、そんなことを考えただけでふたリにかかる負担は底知れなくなる。
それでも愛し合う二人は一生けん命に働くだろうが、収入はたかが知れている。
どうしても無理をし出す。
デートのドタキャンも高価なプレゼントが欲しいわけでもないが、記念の食事すら日常的になっていくだろう。
そんな中でふたリでいる意味を迷わず、しっかりふらつかずにいられる男女などいるだろうか。
愛が足りないのではない。
金とシステムの奴隷に使われているために、恋愛も結婚も子供も奪われていることに気がつかなくてはいけない。
だから愛し合う男女は、だまされてはダメだ。ふたリで暮らしたいなら、安アパートでよいのだ。
質素な暮らしをふたリで楽しみ、お互いを信頼していくことなのだ。
人様のようにとか、豊かにとか、贅沢にとか、思った時からふたリは奴隷としてこの社会を生きていくことになり、その時から愛も何もかもあきらめなくてはいけなくなる。
このことをしっかり認識しておくことだ。
ふたリで15万程度なら稼げると思う。
それで十分だと思い、その中で質素な楽しみ、暮らしをふたリで味わう。それ以上働いて、時間をつぶし、ふたリの仲を貧しくする必要はない。
毎晩6時には戻り、ふたリで毎晩1時間散歩する、、、1日あったことを語りあう、、、それが貧しい生活であるわけがない。
おれ今夜は遅くなるから先に食べていて、、、私もいつもそうだが、これではダメ。
手取りを減らしても楽になる生活、手ごたえのある生活に、そろそろチェンジしていくほうがこれからは得すると思う。
というか、見事にそうなります。
いいですか、マイケルが借金500億円です。いくら稼ぐかではないのです。
しかし借金があったら働かざるをえませんから、社会は人にとにかく借金をさせようさせようとしてきた。
マイホームというからくりは要するに現代の奴隷化を考えたアイデアでしょう。
余裕がある人はもちろんマイホームでもいいでしょうが、無理して奴隷システムに身をおくことはないと思う。
まだお金は必要な時代ですが、できるだけそのシステムから逃げる。
そのためには、まず金に頼らない部分をどんどん増やしていく。
家の窓際に植木鉢をいくつか置いて野菜を作れば、間違いなくふたリ分の野菜はできます。
友人に譲る程度もできます。
そうやって助けあいをすれば、人間関係が強化されます。
その上、ぶつぶつ交換でお金に頼らないものが増えていきます。
サービスとサービス、サービスと物の交換ができれば、さらに生活は楽しくなってきます。
金というものは、必然で生まれたというより、それによって人間を奴隷化するために増大して行ったと考えたほうが正解ですから、今はそこから逃げる時。
そして楽になっていきましょう。
冥王星が山羊座にある今後約10年は、最終的な勝利者が一部の企業となり、それ以外はすべて敗北の時代でもある。
国家も敗北で、企業が勝ちました。
そして企業の人間支配方法はお金ですから、私たちは究極の企業奴隷にされていく時代がまだ10年近く続く可能性がある。
その後はみずがめ座の冥王星に移ることで、すさまじい技術革新、発見その他が、人類の安寧に供することとなり、私たちは奴隷制から解放されていきます。
だから最後の10年、時代の進行スピードが速いので、もしかしたら最後の数年かもしれない。
しかし最後は最もつらく厳しいので、金のシステムから自由になる部分と比例して、個人としての生活も人間としての尊厳も守れることになる。
それは愛の関係も、友情も、家庭の円満とも健康とも大きく関係していく。
いくら欲しい、もっと欲しいと思いつつ、私たちは奴隷にされていく。
反対の考え方で生きること。
だからと言って、貧乏になるわけではなく、かえってお金もはいるかもしれない。
このことを語り出すときょうは複雑になるかもしれないので、またの機会に語らせて下さい。
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2009年7月 4日 (土)
皆既日食以降
偶然だと思うが、皆既日食以降、いろいろな人にいろいろな変化が起きている。
これまで潜在していた問題がはっきりした具体性を持って現れ、担当者に対応を迫っているような出来事が私のまわりや、色々な人に出ている。
もう嘘をつきながら暮らしていくことができない、、そういう流れが急に出てきたように感じるのだが、みなさんの周囲ではいかがでしょう。
これまで重ねてきた無理や嘘がどうにもならないレベルに達し、表面に現れつつある、、、そんな印象です。
個人レベルでもそうなら、もっと大きなレベルでも、今後、いろいろな秘密や無理が表面に出てくる傾向は急拡大すると思う。
アイノウのみずがめ座時代は速度を速めていると思う。
多くの機構やシステムに無理が生じ、先進国でもすべての人間をそこに取り込んで生活させる余裕がなくなっている。
日本を代表するような企業でさえ、危ないのでは、、、というような嘘かもしれないが、噂が飛ぶような御時世だから、国民のすべてを食べさせる力は今の日本にも世界にもない。
未来の金を使っていけたうちはどうにか近代化の中でも全員を食べさせることができたが、これからは半分程度の人間を食べさせる程度に縮小してしまうだろう。
となると、どうやって、我々は生きていけばいいか、、食べていくのか、、、という切実な問題がさらに拡大する。
その時、新しい、これまでとまったくことなる生き方、食べ方を私たちは考え、実行する必要が出てくる。
私はもう10年以上前から、生存自給圏構想を持っていた。
これは1000坪の土地にある程度の自給圏を作り、作物や生活に必要なあらゆるものを基本的に自製するエリアを持ち、そこで文化活動をする、、、という考えだった。
実際に私もそのまねごとで、現在は自称ヒルズに暮らすようになったわけだ。
現在はわずか60坪程度の小さな畑に冬野菜を作っている程度のことしかしてないが、いざとなったら畑を拡大させれば自給圏は可能だと思う。
お隣の方は、すでに完璧に作物を作られ、水も、暖も、自立した形でのものになっているので、本当に素晴らしい。
私のところはあくまで構想の段階だが、自給圏構想には確実な手ごたえがある。
ある程度の自給圏ができれば、そこであいた時間を文化活動にあてることで、私の場合は手作りの石鹸を売ったり、化粧水を売ったり、、と、いう家内文化発生を見、それが現金収入にもつながる、、、という形となるのだろうか。
文化的なものは何が好きなのか、どうまとめるのかは、個々の個性に従えばいい。
こうすれば、会社に行かなくても、基本的に生きていくことができる。
一家でやるもよし、仲間を集めてやるもよし、それぞれが土地を借りてやればお金もかからない。
私はこうした生き方が急速にこれから出てくると思う。
限界を感じたり、生きることが難しくなった場合には、国もこうした人の生き方、食べ方を応援すれば、過疎問題も、地域疲弊の問題も見事に解決していく。
音楽好きな人や家族が周辺にあつまり、こうした生き方を展開すれば、そこでは毎晩音楽会ができる。
それを求めていろいろな人が集まる、、喜びの輪ができていく。
さらに音楽好きが集まれば、ひとつの音楽の山ができる。
こうなると毎晩が音楽祭である。
これを求めて世界中から人がやってくる、、というような山も出てくる。
定住する人は山を美しく、自然を復活させる。
これによってあっというまに、どこもかしこも妖精が飛びまわるような美しい自然が復活していく。
そこで繰り広げられる数々の芸術、文化は、おそらく世界最上級のものになっていく場合もあるだろう。
これと似た生き方がきっと出てくる。
給料がもらえなくなった、日給がもらえなくなった、、、そういう人が次に生きる道、生きる方法を考えるのに、戦争はもうないだろう。
そうではなくて、こうした、生存自給構想を積極的に進めれば、戦争など起こさなくも大丈夫だ。
生きる道が見つかる。
こうしたことを、森と平野に分化定住する時代に私は書いたのだ。
みずがめ座時代のアイノウにより、秘密があばかれ、世界がこれまでどうやってうごいてきたのかの、でたらめさがわかってしまう。
そうなると、まじめに仕事さえしていれば、、、という価値観はいずれぶっ飛んでいく。
食べるものがあり、活動の意味があり、その手ごたえがある、、、ということで人はいいのだ。
ということがきっとわかってくる。
そして多くの生き方の可能性が出てくる。
その主流になるのが、生存自給圏を作り、似た者どうしが、喜びを分かち合う文化的活動、、、という形をとるのだと思う。
エネルギーの無料入手や、科学技術の個人的レベルにおける実用化により、こうした暮らしが楽に楽しく行えるようになる。
出世を目指し、体を痛め、心を痛めながら、みじめな会社生活をしていくだけではない、別の生き方として、静かに人を集め、だんだんと主流になっていくと思う。
もう、未来の金のばらまきはできない。どの国もできない。となると、国は人を救えない。
だからそういうものに頼らない、美しく、楽しく、本質的な生き方が、できるようになっていく。
すいません、この場を借りてご連絡。
短歌大会にいらしてくださった、丸島さん、、、
なつかしかったですね。
ぜひメールください。
Sさん、Hさん、そして亡きK.Iさんなどの思い出話したいです。
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2009年7月 3日 (金)
夕暮れに思うこと

私も他の人も多くのものを誤解しながらこれまで生きいると思う。
学生時代に考え、心配したこと、、、社会人になって考え心配したこと、、、子供のころ、心配したこと、、、、これまで心配したことなんて、ほとんど今思えばどうってことなかったことばかり。
人間、本当に大変な現実にぶつかれば、心配なんて言ってられないから、現実に対処する以外になくなるので、けっきょく心配したことなど何の意味もなくなる。
病気になったらどうしよう、、、、貧乏になったらどうしよう、、、多くの人がそう思う。
実際に病気になり、貧乏になったら、その時大変なだけで、心配したからどうだってこととは違う。
しかしこれまでの経済の大部分は、また人間の活動の大部分は、この、心配をベースに拡大してきた。
心配に漬け込むのが一番儲かるのかもしれない。
やっぱり一流の学校をお出にならなければ、、、、やっぱりある程度のお給料を得なくては、、、やっぱりそれなりのご衣裳でなくては、、、最後の最後まで、やっぱりこの程度のご葬儀のランクでなくては、、、と、経済は人の不安心理につけこんで発展してきた。
しかし、そうした心配はほとんど不要だったことが、過去を考えるとよくわかる。
一流大学を出たからといって、どうなるというものでもない時代となり、見栄をはって大借金をして家や車を買ってもそのことで苦しい、、、という現実の方が大変だったりする。
まだ狭い家でわいわいやっていた時のほうが楽しかった、、、、、なんてこともよくある話。
心配や不安から行動して、本当によかった、、、ということは意外に少ない。
人間って、自分の幸福をことさら考えなくても、自然な流れに沿って生きていき、その中で決断すべき時だけは決断して生きていけば、大体はうまくいくのではないだろうか。決断と言ったって、そんなに大げさに考える必要はない。
毎日、何を食べるか、ほとんどの人は自分で決めているはずだ。
なんとなく、こっち、、、、のほうがいいのだと思う。
しかしこうした決断、日々のメニューの決断においても、そうだ、カロリーを考えて、こちらにしよう、、、とか、栄養バランスが悪いので、何となく食べたい方は我慢して、こちらに、、、、というような決断をしたときだけ、あとで後悔しないだろうか。
その場だけではカロリーにおいても栄養においても正しいのかもしれないが、心と体に残った不満が夜食につながったり、ドカ食いにつながったりして本のもくあみとなるケースが多いのではないか。
だから、あれこれ理屈をつけてその時々でよい方、良い方、、、と考え、自分の体と心の声を無視している人が、実は何をしてもいつもいつも悩んでばかりいるのではないだろうか。
不幸になる名人と言ってもいい。本音で生きてない。
正しい決断、正しい判断、を求めると言ったら聞こえはいいが、結局心の奥にある不安からの選択と決断だから、本当の自分の声ややる気を失っていく。
本当のやる気を失って人生が楽しくなる道理はない。
常に得したい、不安でいたくない、、という動機で動くとこれだけ実は損をする。
自分を捨てると楽になる、楽しくなる、うまくいくようになる、、、というのは、逆説であって、損したっていい、自分の心の声、体の声に素直になろう、、、と思えば、人生は結構うまくいく。
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得恋の歌
どこの国でも詩歌の真髄は恋の歌、そして死をいたむ歌だ。
日本の和歌でもそれは同じで、恋の歌と、挽歌といわれる死にまつわる歌が和歌の真髄となる。
誰でも、恋をしたときと、死に際してはせめて和歌を詠む、、、というのが日本のスタイルというわけだ。
昨晩は披講学集会があったが、青柳先生がおっしゃるに、恋の歌は多いがほとんどは失恋の歌ばかりで、恋を得た歌は非常に少ない、、、という。
得恋の歌、、とでもいうのだろうか。
それが少ないらしい。
しかし一番最初の和歌といわれるスサノオの歌は妻を得た喜びの得恋歌である。
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を
という歌。
昨年行ったはじめての公演で朗読と披講をしたが、和歌のスタートは恋を得た歌だった。
失恋の歌は多いので、ぜひとも、恋を得たときにぜひ和歌を作ってみるといいかもしれない。
とくに若い人に進めたい気持ち。
結婚に際してその喜びを和歌にしたら、必ず来るであろう結婚生活の危機をかなり防げるかもしれない。
日々の生活に手ごたえを持たせる方法はいろいろあると思うが、その最大のものは、自分の生活に神話としての側面を持たせることである。
結婚のスタートに和歌をつくれば、それは神話として影響力を発揮する。
非日常の喜びが表現されたとき、自分の人生が神話となっていく道をつくる。
誕生日の意味も私たちは実は神話の世界を生きていることの手ごたえを自覚させる。
このように何事もはじめと終わりが大切なのだ。
ここにしっかり神話となる道を作っておくと、日常の困難に対する強さが現れる。
国でもそれは同じで、出発の神話が心もとないと途中もどうしても心もとなくなる。
神話はだましでも偽りでも迷信でもない。
もともと、現実が神秘であり、現実が正しく神話なのである。
ただ私たちは日常の積み重ねにおいて、繰り返しにおいて、だんだんとそのことをつい忘れてしまうからにほかならない。
自殺したくなったとき、自分に意味が感じられなくなったとき、自分が嫌いになってしまったとき、私たちは自分の神話の側面を忘れているだけである。
神話などない、平凡で何のとりえもないのが自分だ、、、と、かたくなに思うこともあると思うが、それは間違っている。
こちらが生んでくれと頼んだのでもなく両親の要請、神の要請によって私たちは生まれてきた。
それは十分なドラマの始まりであり、まさに神話から私たちの人生はスタートしている。
死も同様。
あちらからお迎えが来る。こちらから願うわけでも申し込むわけでもない。運命としてあちらからやってきてくれる。
だからこれも神話である。
誰の人生もだから劇的なのだ。すごいのだ。
不運の連続で何ひとつよくない人生と嘆く人もいるかもしれない。しかしそれを神話として捕らえたら、よくできた神話ともなる。
ただその役を受け入れてこなす意思があるかないかの違いだけ。
私たちは色々な役柄をそれぞれ背負っているが、みんなで協力して、今の時代に、この地球で、それぞれの神芝居を演じているとも言える。
変えられる部分は何でも変えたらいい。しかし変えられない部分は仕方ない。
それを運命というのなら、そこにこそあなたの神話が息づいている。
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2009年7月 1日 (水)
水無月の大祓い

きょうは披講学習会の練習をさしていただいている港区の元神明宮へ、大祓いのみそぎに行った。
ニッポン放送の録音が終えてから行ったのだが、すでに式は終えてしまっていた。しかし宮司様とお会いでき、備えてあったチノ輪くぐりの行事を執り行ってくださった。
ありがとうございました。
初めての体験。
不思議だったのは、有楽町からタクシーで元神明に行った際、行く場所を言うと、運転手さんはやけに元神明界隈について詳しい。どうやら子供のころからずっと暮らしていたみたいだ。小学校は赤羽小学校ですと運転手さんは言い、私も懐かしかった。
私は南海小学校というやはり近くにあった一時は東京一古い小学校だったが、閉校になった。母校がないというのはさびしいものである。
素晴らしい校歌だったが、もうあの校歌はどこでも歌われることがないと思うとつらいものがある。
天と地との開けそめし、、、、あめとつちとのひらけそめし、、、と読むが、それほど古い言い回しの校歌だった。おそらくご存じの方はいないでしょう。
というわけで、タクシーの運転手さんと昔の三田界隈の話しをしながら神社へ行った次第。運転手さんは運転しながら、しきりに何度も何度も、なつかしいなあ、、、、と言い続けていた。
宮司さんにOのタクシーに偶然乗った、、、と言ってください、と言われたので、宮司さんに言うと、やはり驚かれて懐かしそうにされていた。
地縁である。
子供時代というのはなんでこうも懐かしいのだろう。
今の日本人には、幸せな光景というのは子供時代しかないような、そんな気になる。
しかし中には子供時代ですら地獄の時代という人もいる。
どこにも車が走り、電車が走り、ビルが建ち、おいしいものがたくさんあり、とても豊かに見える現代の中で、まだ飢えたり、保護されなかったり、苦しんでいる子供がいる。
国がやることの最低限のことではないか。子供の安全と命を守ること。
いったん戦争が起これば、子供だろうが赤ちゃんだろうが、関係なく砲弾が飛び、肉片が飛ぶ。
そんな馬鹿なことがあるだろうか。
そんなことがありながら、車に乗れても、飛行機に乗れても。月までいけても、何の意味があるのか。
人間の恥そのものではないか。
国が大変なのはよくわかる。しかし、子供の命を守り、飢えのない子供として守ること。そうした、安全が優先されずに大変も難しいもないではないか。すべてはそこから。
戦争を起こしても、一人も子供を殺さないでやってほしい。
子供は関係ないのだから。
こうした当たり前のことが守られない、満たされない、というこれまでの世の中というのは、この一点を取ってもインチキだったことがわかる。
誰かの利益のための道具にしかなかったのだろう、国も国民の働きも。
資本主義を作ったのと同じ人たちが共産主義も作ったわけで、近代国家はもともと最初から問題があった。
今回の変化はそこらへんからのやり直しとなるので、最後までそれに抵抗する人は、はっきりと悪魔的な面を見せ出すし、極めて純粋な気持ちからの変革を求める面との力関係になっていく。
本当に凄い時代だと思う。
いま現代人が戦うものは、子供達を守るための戦いと言ってもいい。
北朝鮮では飢えが深刻化しているという。
おなかをすかせた子供が道路で疲れて寝ている光景の写真を週刊誌で見たが、ある程度本当なんだろう。
子供に食べさす食糧など、大した金額でもないのに、そういうものまでがまんさせて武器を作っている。そうしないと国がもたない、、、と本気で思っているらしいが、そんなことはないはずだ。世界から飢えた子どもをなくすためにかかる金など大した金額であるはずがない。
それができないほど、地球は悪魔的に進んできたのだ。
悪魔でのかまわないが、とにかく飢えたこどもは助けろ。
今の日本だって給食だけで命をつないでいる子供がいるのだ。民主党が政権を取ったら、何でもいいからそれだけはやらなくてはダメだ。
世界には水の問題も、経済の問題も、環境の問題もあるが、難しい、、、などと言っている場合ではなくて、まず、飢えた子どもをなくすこと。
それをやってくれるのなら、私は自民党でも民主党でも共産党でも公明党でもどこにでも票を入れる。
子供の飢えをあらゆる問題の一つとして平行に並べるべきではない。最優先。
そこに気が付く人しかこれからは責任者になってはいけない。
子供の命を守れる人。
馬鹿な宮崎知事だろうがスタンドプレーの大阪知事だろうが、最優先で飢えた子ども、保護されない子供を助ける、、、それだけはやる、、、と言ってくれたら、喜んで嫌いになった東にも大阪知事にも票を入れる。
いま、政治は駆け引きなんかやってる場合じゃない。
心の声、普通の人間がもつ心の声が聞きたいのだ。
何を最優先するか、何を責任をもってやるか、、子供の安全以外に何があるというのか。原点に戻るとはそれ以外にないだろうが。
こんなに政治家が大勢いて、なんで飢えた子どもを救えないのか。
馬鹿にした話しである。
政党が必至になる必要などなく、本気になって取り組むたった一人の政治家の力で、日本の子供の飢えは解決できるはずだ。
一食300円として、10万人の子供が飢えていたとすると三千万。一日一億。年間400億円で飢えた子どもがいなくなる。飛行機一機の値段だろうが。
だめだよ、本当に人間をばかにしては。
難しい理屈つけないでまず、そこだけは早くやってください。
そうすれば日本は段々と強くなってくるはず。制度問題は次のことなんだよ。
と、段々私も言葉づかいが悪くなってきたようで、申し訳ありません。
月が牡羊座なので、時々そうなってしまう。
マイケルジャクソンが政治の世界に出たら、彼の純粋性によって、こうした子供の飢えをたった一人でなくせた可能性があると思う。
しかしマイケルの声は本当に繊細だと思う。
日本が好きだったんだよね、あの人。
組織がダメになり、国がダメになり、権威がダメになり、、あとは心しかない。
心のない人がいくらバタバタしてももう世界は動かなくなっている。
小池百合子なども、もう自分の出世ばかり考えるのはやめて、罪滅ぼしのつもりで日本人の子供の一人も飢えた子がいないようにする、、、とでも考言ってほしい。他のことはやる必要ないので。
そうしないと本人自身が全うできないところに来ている気がする。ビジネスサテライトからずっとあの人を見てきたが、本当に顔つきが変わったと思う。
権力が人を救うことはない。子供を守れたら、次は、次は、、、と、心の政治が動いていき、国民もこぞって応援し出す。
その方が絶対に得だよ。
こうしたことに気づいた人から政治家としてこれからは成功していくので、早く気づいてやってください。
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熊蜂とグラジオラス

このグラジオラスは4年ほど前に妖精が止まったグラジオラスと同じところに咲いたもの。毎年、きれいな花を咲かせてくれます。
ご近所の方にいただいたお花。とてもきれいです。
妖精はおそらくてんとう虫。まったく同じ顔の妖精写真をコナンドイルの写真から発見したことがある。コナンドイルのもおそらくてんとう虫をどこからか写した妖精写真なのでしょう。
しかし本日は熊蜂。熊蜂はグラジオラスが好きらしく毎年やってくる。熊蜂も妖精らしいので、今年も妖精写真が撮れました。
本日は遠方からいらしてくださったIさん、お疲れ様でした。
新オフィスにいらして、帰りがけにヒルズにも立ち寄り、ちょっと早めの夏休みを堪能したと言われて帰られた。ありがとうございました。
Iさんは編集のプロだけど、ご自身でもお書きになるので、本日は本来なら原稿をお渡ししなければならなかったところなのだが、まだ私が書いてなかったた
め、苦し紛れから、内容変更の話しをしたところ、確かにその方が、、、ということになって、ならば、Iさんが書いた方が面白いのでは、、、と、主客転倒。
私は監修という形に急きょ変更。締切り逃れもこれでできて、エブリバディハッピイとなった。
ここらへんの対応はやはりこの道で30年はやらないと出きない芸当。
しかし無茶苦茶な話しではある。締切原稿を取りに来られたけどまだやってなくて、終わってみたら相手が書く形に変わってしまっていた、なんて。
これで私が今度からは原稿を催促できる立場になるのかしら。
アバウトな世界での出来事ではある。
きょうは暑かったので、真夏の夢と思ってお許しを。
政権交代が現実味を帯びだしたせいか、不思議な事件が起きてくる。
アメリカと日本との核持ち込みに対する密約があったと元事務次官が言えば、政府はやはりそんなことはない、、の一点張り。絶対に間違いを犯さない官
僚、、、という考えが本当に無駄な税金を使うことにつながり、その意味のない意地が多くの混乱と不審を招いたとしても決して態度を変えない。
間違った作戦を正当化するためにさらに多くの将兵を見殺しにした官僚軍人と変わらない。
国に奉仕する仕事に就く人には、個人や部署のメンツではなく、全体の、ことに国民の利益という観点から行動する教育が必要なのではないか。
国で甘い汁を吸い、国で儲け、国で威張っていた人には出て行ってもらおう。
本来、海上は12海里までが自国の範囲になるらしいが、日本は3海里とすることで海外の艦船の通行の便宜を図ったという内容もある。アメリカに尻尾を振ることだけが日本の政策だった。
しかし人間には良心の呵責があるので、ご高齢の方から、やはりおかしいと思うことがこうして出てくる。余命も少なくなれば、おかしいことはおかしいと言いたくなるのだろう。
これから聴くのも恐ろしいようなことが、自民党政権のもとで作られた秘密として暴露され、それを知った国民が、なんだ、ちっとも国民のことなんか考えてなかったじゃん、、、、という流れが出てくるだろう。
最後までそれでも隠そうとすれば、最後は本物の悪魔になる以外にないだろうから、テロだって何だって起こしたくなるかもしれないが、それはやめてください。もうおかしなことはしないでください、、、と願います。
時代的な生活苦から逃げるには、生活者としての自分を確立していくことが大切、ということを昨日話した。
生活者の自分とは、仕事にとられて時間がない、、、だから弁当を買う、クリーニングに出す、糸がほつれたズボンをそのままにして新たに買う、、、という行動に出てしまう。
生活者としての自分を大事にしたら、30分早く起きて弁当をつくる、、汚れたものは自分で洗濯する、、、着るもの、使う物を修理する、、、というようなことから始まって、だんだんと生活の質を手ごたえとしてアップさせていく。
贅沢な暮らしにアップするのではなく、暮らしや生活に手を加え、それを楽しみ、それにまつわる横の関係を深めていく、、、ということだ。
自給1000円以上もらえるなら、合理的な生活のほうがまだ力を持つかもしれぬが、自給750円などという人間をばかにした金額で働かせることを企業や国が考えるのなら、働くよりも生活者として充実していく方向のほうがずっと有利となる。
もちろんある程度の現金を得るためには安時給で働くのも仕方はないのだろうが、考え方として生活者の自分を重視することで、ストレスも不安の質も変わってくる。
しかし企業も国も馬鹿だと思う。安時給で企業の最大価値を高めようとする小泉竹中路線などは、結果的に亡国の政策となった。
人間を知らないからそうなる。
人間をばかにしているからそうなる。
小泉のおひざ元の横須賀市では子飼いの候補は落選。
当然だろう。この流れはもう変わらない。
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