2009年7月 9日 (木)

知ったら終い

手品でも特ダネでも、一度知ってしまったらありがたさも消えるし、御威光も消えうせてしまう。
そんな状況を阻止しようと、今、世界ではものすごい情報の締め付けが行われているようだ。

中国などでは、国にとってありがたくない情報はほとんどインターネットでも閲覧できなくしている。
日本でも急にそうした動きが出ているらしい。
要するに国民に知られたらこれまでのようにはやっていられなくなる。
それどころか、国民の怒りを鎮めることはできず、国も転覆してしまう。

どの国も多かれ少なかれどうやら同じようだ。これが、以前から私が言っていた、世界は自由になるか、もしくは強制収容所化するか、どちらか、、、の意味だ。

日本ではどう転んでも強制収容所化はないと思ってはいたが、なんだかかなり危ない動きが出てきている。
マスコミも必死。
選挙で勝てないとなると、何があっても今度は解散せずに時間を稼ぎ、その間に、あらゆる陰謀を使って民主の問題をあぶり出し、逆転させることしか頭にないのかもしれない。

しかし、自民党の中にも、実は尊敬できる政治家も少ないながらいるわけで、こうした人があまりにひどいことをすると内部リークする可能性も出てくる。
また、自民の負けを確信したマスコミの一部がそうした反自民の態度に出る可能性もあるかもしれない。
何であれ、もう自民党は割れているのだから。

鳩山の政治献金問題を唯一の突破口に位置付け、これからやっていくのだろうが、もうさすがに国民に読まれている。
鳩山は私の場合はうっかりそうなってしまったが、確かに違反は違反なので、今後こうしたことがないよう、私のみではなく、同様のケースが、○○、○○、○○にもあると思うので、同一の問題として並列に扱って考えよう、、、とでもいえばよいのだ。

何よりも、解散を引きのばすやり方に国民の怒りがあるのだから、ひるむこともない。
最後の最後になると、自民はでたらめでもいいから、嫌疑だけをあげつらい、証拠などない事件の捏造を企てるだろう。

選挙の数日前にでもやれば、真相解明の時間もなく、疑いだけで相手のイメージダウンを図れる。
まあ、何でもやると思う。

幼児ポルノ規制の法律化などは、まさにこういうための法律であり、勝手にポストに幼児の裸写真を入れておいて、これは何だ、、、と言うだけで逮捕できる、まあ、信じられない法律だ。
法律などというものではなく、マスコミと一体となって行う、体制維持装置を作りたいというだけ。

幼児ポルノなどと言うと、嫌疑をかけられた方のイメージダウンは決定的になることを知っており、マスコミが騒ぐことで、政敵や邪魔な人間を倒していく。
こうやって、これまでにも、本当に人間的に立派な人を中心から追いやってきたのだろう。汚名を着せて。

戦争で負け、アメリカを親分とし、そこに取り入り、親分のいうことや思うことを先回りして行い、そのことがまったく日本人の利益に反していることでも平気でやってきたのが、日本を支配していたのだ。
だから、一度民主になって、とにかくこれまで何が行われていたかを、一度、洗いざらい、国民の前に出し、その上で、これからの日本をどうしていくかをみんなで考えること。
それ以外に私たちの進む方向はない。

まあ、みててください。
これから破廉恥な嫌疑が民主に対して誰かが仕掛けます。
最後は証拠もないようなことを、マスコミと一体となってさも大事件が発覚したように言うでしょうが、まあ、今回の宮崎知事事件と同じだと思っていること。
今度ばかりはまた自民が続投するとなると、もう、金もない、知恵もない、その上、国民の搾取だけは激しい、、、ということで、日本は未来を作れなくなる。

国民はすべてを彼らに奪われたのだから、もうこれ以上、あげるものなどない。
その意味でももう自民政治では無理なのだと思う。
自民が今回、卑劣な方法に助けられて万が一勝ったとしても、親分のアメリカがすでにもう前の親分とは違っている。
平気でアメリカの方から、ああ、自民党時代のこれが秘密ですよ、、、とこだわることなく出される絵がきっと出てくる。

どっちにせよ、同じなので、早く逃げた方がいい。
今の自民から逃げようとしないのは、すねに傷を持つやつだけ、、、ということがわかってしまう。
となると、すねに傷をそれほどもたない、比較的まともな自民議員は選挙に勝ちたいから、反自民に急展開する可能性も出てくる。

今回の東国原を持ちだした古賀も、結局は、九州における自民票を集め、自分が落選しても名簿で当選する仕組みが作りたかった、、、というのが第一の目的だったことがばれている。
要するに選挙対策の地位を使ってすでに保身に入ってたわけで、これではもう、選挙対策のトップとしての信頼は地に落ちた。
あとは、自民議員は寝がえりでも何でもやるようになる。

その前に、唯一、鳩山の献金問題のゆくえを見ている、、、というのが本音だろう。
もしこれも自民に見方しないと見たら、彼らの寝返りをもう止めることはできまい。
とにかく、民主は先回りして、きっと誰かがゴシップや嫌疑などを使ってこれからも私たちを追い込むことを考えていると思う、、、と、もう言いだした方がいい。

とくにポルノなど、どうでも犯罪者に仕立て上げられるような嫌疑をかけられるのではないかと危惧する、、、ぐらい言っておいた方がベターなのだ。
先回りして、悪人が使う手口を公開しておくこと。
それにより、自分を守ることができると思う。

たとえば、こういうことだ。
あなたを殺そうとする人がいて、深夜にあなたの部屋に忍び込んできたとしたら、真っ先に、大声で、その人の名前を呼ぶ。
犯人は誰誰だ、、、、と最大の大声で叫ぶ。
そうすれば、もし殺されても犯人の名を誰かが聞いていると思って、実行できなくなるだろう。
そして、何もしなければ、深夜に遊びにきた、、、というだけの話しで、犯人も引き下がるしかなくなる。

民主党に今求められるのは、こうしたぎりぎりの危機管理である。
マスコミを逆手に使う危機管理が必要なのだ。
私が殺されたら、○○を疑ってください、、、とあらかじめ周囲に伝えておけば、おいそれとは殺されない。
小泉などの問題点が国民にはわかってきているので、いま、幼児ポルノ疑惑などで信任をなくそうとする働きが怖い、、、とか言えば、国民は、ああ、本当にそういうことをやるかもしれない、、、と、こちらを信じてくれるだろう。
ケネディだって、私が殺されたら、間違いなく○○です、、、と言っていれば、殺されることはなかったはずだ。

いま、ここで戦争が起きたら、それは間違いなく、こうしたことがあるからです、、、と、それぞれの利益が交錯しているため、これは効果がある。
マスコミは親分が一つの時だけは力を持つが、親分が四方に分かれ、力のベクトルがどうなるか分からない時には、これまでのような力はもてない。
逆にそうしたマスコミを使って戦略を練る知恵が必要な時なのだ。

と言って、私は民主党を応援しているつもりはない。
これまでの日本人をだまし、偽り、ウソで固めてきた、その事実を、誰が表に出してくれるのか、、その一点において、とりあえず民主党に期待をしているだけ。
政権を取ればそれができるかもの、期待である。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ 経済・政治・国際 |

2009年7月 7日 (火)

七夕

このところ関東地方はぐずついた天気でしたが、七夕の今夜だけはどうやら晴れ間が出るみたい。
天の川をはさんだ二人の星の神様も安堵していることでしょう。

七夕のお祭りは、学術や習い事の向上を願う日。
字が上達しますように、、、とか、文章がうまくなりますように、、、お琴の演奏が上手になりますように、、、など、習い事の上達を願うのに良いのです。

なんだ、大したお祭りでないんだな、と思われる人もいるかもしれませんが、そんなことはなく、習い事の上達は人間にしかできないお願いごとですから、とても大切。
動物か人間かに分かれる部分のお祭りと言ってもよいでしょう。

静岡の新知事となった川勝氏は文化の重要性を心から理解されている人ですから、必ず、新しい生き方につながる試みを静岡で実践するはず。

私が昔出した森と平野に、、、の本を読んだ関西の有力人が、これは必ず実現します、、、とわざわざ言いに来てくださったことがあったが、愛先生がこうした試みの形をつくったら、私は政財界の人を連れて応援する、、、と言ってくださったことがある。

私はどうも組織だったことが苦手ということもあり、その後、個人的な文化的生き方を模索していくだけだったが、時を同じくして川勝氏は私と非常に近い国の未来像を提案され、その後も観光立国の発案などで国の方向をリードしてきた。

政府ブレーンとしてあまり有名ではない氏だが、実は小泉が言った観光立国、阿部が言った美しい日本という考えに、影で大きな影響というか決定的な影響を与えていたと思う。
新しい日本の方向を信念を持ってイメージしていたのは、唯一、川勝氏であり、それは密かに、本当に国の政策方向となっている。

しかし、小泉はじめ歴代の首相には、川勝氏のいう本当のことはわからなかったと思う。
ただ言葉の上での発言だったと思うが、今回、静岡で氏が知事になることで、新たな試みがトライできるのではないだろうか。

私は占星術師ということもあって、未来の形はすでにわかっているが、ここにきて、まさか川勝氏が政治の世界に急きょ踊り出ることで、それが形になっていくとは思わなかった。
ありがたいことである。
うぬぼれになるが、私は自分が書いた、森と平野に分化定住する時代、、、に書かれた未来がいつかはやってくると信じていたが、自分では何の力にもなれず、これを世に知らせるにはどうしたらいいかと常ずね思っていた。

川勝氏が出たことで、もうこの件に関しては、私はお役御免で肩の荷が降りたと勝手に思っている。
あと、私の考えに同調する経済アナリストの新井信介氏と、以前共著で、新たな方向を語ったことがあるが、川勝氏や新井氏などが協力していくと、凄い変化が起こせるのではないだろうか。

私自身はとにかく小さなことが好きなので、個人的にアーティストとして生きていく。
とくに声の可能性を追及していきたいと思う。
体験の世界、体験の世界へと進むごとに、物質と精神のつなぎ目にある音の世界が広がってくる。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ 愛先生の占い |

静岡の奇跡

川勝氏が勝った。
予想外の大逆転だったらしい。
私は川勝氏はいずれ総理大臣になると思う。象徴的とらえ方をするとそうなる。

まず、宮崎の知事が恥も忘れて国政参加の絵を見せた。
言い分は地方から国を変えるであった。
そのことが人気とりの自民のシナリオであることを見破られ、東国原の人気と自民の人気は急下降している。

東国原がち迷いごとを言い出した時に、すかさず私が言ったことが現実になっている。
しかし宮崎知事が言った、地方から国、、、のシナリオはあのことがあって国民の意識に植え付けられた。
そして国の未来ビジョンを持っている唯一の学者であり政治家となった川勝氏が奇跡の逆転勝利。
これは人がつくるシナリオではなく、川勝氏は運命のシナリオによって選ばれたと思う。

偉く高い評価だが、それには理由がある。
私が10年以上前に出した、森と平野に分化定住する時代、と前後して、ほぼ私と同じ内容の提案をしたのが川勝氏だった。私は単なる民間の占い師の言として一部で評価されただけだったが、川勝氏は確か当時早稲田かどこかの教授だったので、その影響力はやはり大きかった。

内容は私の方が早かったし深い気もするが、やはり総合的な目線からの学者の立場、そして影響力の大きさで川勝氏が時代の神に選ばれ、いずれ重要な働きをしていく人になるはずだ。
私は川勝氏がいずれ総理になると予言しておこう。私としてもまったく依存はない。

東国原が運命の神に使われて起こした地方からの国政、そしてそれを東国原ではなく、川勝が行う役に就く。
神様は本当に色々な者を使って時代をすすめる。
宮崎知事も意地をはらず、降参してちょっと思いあがっていました、、と素直に反省すれば人気は戻ると思う。
自民党はまだ彼を使って選挙戦に突入するつもりだろうが、もう足元を読まれている。
やればやるほど真剣に怒った無党派層が半自民に票を入れるようになっていく。
さもないと、どこかの若手お笑いタレントが、受けを狙って「私を総裁選に担ぐお覚悟はおありですか」とやられたら、すべてがおしまいである。

自民も東国原も笑われて終わりとなる。そしてこのギャグは確かに受けてしまうだろう。
自民にはもうそいうことがわかる人もいなくなってしまった。

大体、もう人気の時代ではないんだよね。
マイケルの死といい、人気ですべてを動かせた時代も終りに近づいている。
人気でどうかなるのは、まだ余裕がある時のことで、怒っている民衆に対して人気とりしても逆効果になる。
だから民主党も国民のみなさん、とは言わない方がいいと私は言った。
それは、選挙に大勝したときだけ、国民のみなさん、、と、党首が涙ながらに語り出した時、絵になる言葉なのだ。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ 日記・コラム・つぶやき |

2009年7月 6日 (月)

システムから少しづつ逃げる

逃げよ逃げよ、すべてのジュネーブから逃げよ、、は確かノストラダムスの言葉。
もっと簡単に言えば、だんだんといろいろなシステムから逃げて、その分楽になっていく、、、そんな風に考えると面白い。

システムといえば、まず会社、あらゆる機構、国、宗教、都会、、、もろもろあるが、もちろんすぐに仕事を辞めるとか、都会を逃げ出す、、というわけにはいかない。
できるだけそういうものへの依存度を低くしていくことがこれからは面白いということ。

もっと具体的に言うと、お金に頼らない生活に目標を立てる、、、ということもできる。
なるべくお金を使わない、、から初めて、本当に生活するのにお金がかからない、、という形を作っていく。

ワーカホリック状態だとこれができない。
仕事一途だと、どうしてもお金に頼る以外になくなる。
お金から離れた暮らしができると、人間はその分自由になっていける。

うまい具合に現代人はお金の奴隷状態にされたので、そこからいかに逃げるかが、生き方の自由と関係してくる。
これからあらゆる技術革新が進むと思うが、それをうまく利用すると、意外にお金から自由になれる面が大きくなると思う。
食費を安く切り詰める、、、と思うとわびしい気持ちとなって長く続かないが、健康のために体にいいものを少量たべる、、その結果、食費が浮いてきた、、、というやり方がベター。

まずは見栄と関係していた出費から始めるといい。
マイケルジャクソンに500億円の借金があるといわれるが、本当かうそかは別として、確かに多く稼げるからお金から自由になれるというわけではない。
まずは見栄と関係するお金を使わないこと。これだけで結構楽になる人もいるだろう。
私たちは巧妙にお金で縛られてしまったのだから、それを使わない生活を獲得することで、楽になっていける。
このことをはっきり認識した方がいい時代に入った。
そんなことをするとかえって景気が悪化し、よくない、、、と思う人もいるかもしれないが、不要なものや欲望をかきたて、未来の金まで使ってしまうような経済がいま崩壊しつつあるのだから、そうした批判は当たらない。

早くつぶれてもっと自然に沿った経済に変化するためにも、金と関係するあらゆるシステムからすこしづつ逃げるに越したことはないと思う。
というのは、やはりこの経済はもうすぐジエンドすると思う。
借金が多すぎてもう身動きが取れなくなっている。

あくまで表面的にごまかしているが、CDSの対策など打てるわけがなく、金融は崩壊したのだ。
もうすぐびっくり箱が開き、まさかあの会社が、あの銀行が、、ということもありうる。
それどころか、大国のデフォルトももしかしたらではなく、常識的に考えてわかる。

いま一時的に平穏を装っているのは、逃げ場を作っているから。上の人の逃げ場。どこまでも民衆は見事に馬鹿にされたのだ。

私がなぜ、昨日のような藤圭子の歌に執着したかも、金により、民衆が深く深くだまされた時代の悲しさ、苦しさ、わびしさと、あの歌の感性が通じるものがあったためかもしれない。
人の人生がわびしいのではない。
金のシステムにだまされていくことが人生のわびしさを生んでいく、、そうした構図があり、演歌はその直感として開花した面がある。

100年前の絵画にもそんな直観があった。
さすが芸術や文化は直感的に時代の本質を予期し、とらえる。
若い男女が恋をして共に住みだす。いまのカップルでは一緒に暮らしても、どうしても金銭面での問題が出てくる。定職につけなければなおさらである。
まして子供ができる、、、そんなことを考えただけでふたリにかかる負担は底知れなくなる。

それでも愛し合う二人は一生けん命に働くだろうが、収入はたかが知れている。
どうしても無理をし出す。
デートのドタキャンも高価なプレゼントが欲しいわけでもないが、記念の食事すら日常的になっていくだろう。
そんな中でふたリでいる意味を迷わず、しっかりふらつかずにいられる男女などいるだろうか。
愛が足りないのではない。
金とシステムの奴隷に使われているために、恋愛も結婚も子供も奪われていることに気がつかなくてはいけない。

だから愛し合う男女は、だまされてはダメだ。ふたリで暮らしたいなら、安アパートでよいのだ。
質素な暮らしをふたリで楽しみ、お互いを信頼していくことなのだ。
人様のようにとか、豊かにとか、贅沢にとか、思った時からふたリは奴隷としてこの社会を生きていくことになり、その時から愛も何もかもあきらめなくてはいけなくなる。
このことをしっかり認識しておくことだ。

ふたリで15万程度なら稼げると思う。
それで十分だと思い、その中で質素な楽しみ、暮らしをふたリで味わう。それ以上働いて、時間をつぶし、ふたリの仲を貧しくする必要はない。
毎晩6時には戻り、ふたリで毎晩1時間散歩する、、、1日あったことを語りあう、、、それが貧しい生活であるわけがない。

おれ今夜は遅くなるから先に食べていて、、、私もいつもそうだが、これではダメ。
手取りを減らしても楽になる生活、手ごたえのある生活に、そろそろチェンジしていくほうがこれからは得すると思う。
というか、見事にそうなります。

いいですか、マイケルが借金500億円です。いくら稼ぐかではないのです。
しかし借金があったら働かざるをえませんから、社会は人にとにかく借金をさせようさせようとしてきた。
マイホームというからくりは要するに現代の奴隷化を考えたアイデアでしょう。
余裕がある人はもちろんマイホームでもいいでしょうが、無理して奴隷システムに身をおくことはないと思う。

まだお金は必要な時代ですが、できるだけそのシステムから逃げる。
そのためには、まず金に頼らない部分をどんどん増やしていく。
家の窓際に植木鉢をいくつか置いて野菜を作れば、間違いなくふたリ分の野菜はできます。
友人に譲る程度もできます。
そうやって助けあいをすれば、人間関係が強化されます。

その上、ぶつぶつ交換でお金に頼らないものが増えていきます。
サービスとサービス、サービスと物の交換ができれば、さらに生活は楽しくなってきます。
金というものは、必然で生まれたというより、それによって人間を奴隷化するために増大して行ったと考えたほうが正解ですから、今はそこから逃げる時。
そして楽になっていきましょう。

冥王星が山羊座にある今後約10年は、最終的な勝利者が一部の企業となり、それ以外はすべて敗北の時代でもある。
国家も敗北で、企業が勝ちました。
そして企業の人間支配方法はお金ですから、私たちは究極の企業奴隷にされていく時代がまだ10年近く続く可能性がある。

その後はみずがめ座の冥王星に移ることで、すさまじい技術革新、発見その他が、人類の安寧に供することとなり、私たちは奴隷制から解放されていきます。
だから最後の10年、時代の進行スピードが速いので、もしかしたら最後の数年かもしれない。
しかし最後は最もつらく厳しいので、金のシステムから自由になる部分と比例して、個人としての生活も人間としての尊厳も守れることになる。

それは愛の関係も、友情も、家庭の円満とも健康とも大きく関係していく。
いくら欲しい、もっと欲しいと思いつつ、私たちは奴隷にされていく。
反対の考え方で生きること。
だからと言って、貧乏になるわけではなく、かえってお金もはいるかもしれない。
このことを語り出すときょうは複雑になるかもしれないので、またの機会に語らせて下さい。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ 日記・コラム・つぶやき |

2009年7月 3日 (金)

夕暮れに思うこと

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私も他の人も多くのものを誤解しながらこれまで生きいると思う。
学生時代に考え、心配したこと、、、社会人になって考え心配したこと、、、子供のころ、心配したこと、、、、これまで心配したことなんて、ほとんど今思えばどうってことなかったことばかり。
人間、本当に大変な現実にぶつかれば、心配なんて言ってられないから、現実に対処する以外になくなるので、けっきょく心配したことなど何の意味もなくなる。

病気になったらどうしよう、、、、貧乏になったらどうしよう、、、多くの人がそう思う。
実際に病気になり、貧乏になったら、その時大変なだけで、心配したからどうだってこととは違う。
しかしこれまでの経済の大部分は、また人間の活動の大部分は、この、心配をベースに拡大してきた。
心配に漬け込むのが一番儲かるのかもしれない。

やっぱり一流の学校をお出にならなければ、、、、やっぱりある程度のお給料を得なくては、、、やっぱりそれなりのご衣裳でなくては、、、最後の最後まで、やっぱりこの程度のご葬儀のランクでなくては、、、と、経済は人の不安心理につけこんで発展してきた。
しかし、そうした心配はほとんど不要だったことが、過去を考えるとよくわかる。

一流大学を出たからといって、どうなるというものでもない時代となり、見栄をはって大借金をして家や車を買ってもそのことで苦しい、、、という現実の方が大変だったりする。
まだ狭い家でわいわいやっていた時のほうが楽しかった、、、、、なんてこともよくある話。
心配や不安から行動して、本当によかった、、、ということは意外に少ない。
人間って、自分の幸福をことさら考えなくても、自然な流れに沿って生きていき、その中で決断すべき時だけは決断して生きていけば、大体はうまくいくのではないだろうか。決断と言ったって、そんなに大げさに考える必要はない。

毎日、何を食べるか、ほとんどの人は自分で決めているはずだ。
なんとなく、こっち、、、、のほうがいいのだと思う。

しかしこうした決断、日々のメニューの決断においても、そうだ、カロリーを考えて、こちらにしよう、、、とか、栄養バランスが悪いので、何となく食べたい方は我慢して、こちらに、、、、というような決断をしたときだけ、あとで後悔しないだろうか。
その場だけではカロリーにおいても栄養においても正しいのかもしれないが、心と体に残った不満が夜食につながったり、ドカ食いにつながったりして本のもくあみとなるケースが多いのではないか。
だから、あれこれ理屈をつけてその時々でよい方、良い方、、、と考え、自分の体と心の声を無視している人が、実は何をしてもいつもいつも悩んでばかりいるのではないだろうか。

不幸になる名人と言ってもいい。本音で生きてない。
正しい決断、正しい判断、を求めると言ったら聞こえはいいが、結局心の奥にある不安からの選択と決断だから、本当の自分の声ややる気を失っていく。

本当のやる気を失って人生が楽しくなる道理はない。
常に得したい、不安でいたくない、、という動機で動くとこれだけ実は損をする。
自分を捨てると楽になる、楽しくなる、うまくいくようになる、、、というのは、逆説であって、損したっていい、自分の心の声、体の声に素直になろう、、、と思えば、人生は結構うまくいく。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ  |

得恋の歌

どこの国でも詩歌の真髄は恋の歌、そして死をいたむ歌だ。
日本の和歌でもそれは同じで、恋の歌と、挽歌といわれる死にまつわる歌が和歌の真髄となる。
誰でも、恋をしたときと、死に際してはせめて和歌を詠む、、、というのが日本のスタイルというわけだ。

昨晩は披講学集会があったが、青柳先生がおっしゃるに、恋の歌は多いがほとんどは失恋の歌ばかりで、恋を得た歌は非常に少ない、、、という。

得恋の歌、、とでもいうのだろうか。
それが少ないらしい。
しかし一番最初の和歌といわれるスサノオの歌は妻を得た喜びの得恋歌である。

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を

という歌。

昨年行ったはじめての公演で朗読と披講をしたが、和歌のスタートは恋を得た歌だった。
失恋の歌は多いので、ぜひとも、恋を得たときにぜひ和歌を作ってみるといいかもしれない。

とくに若い人に進めたい気持ち。
結婚に際してその喜びを和歌にしたら、必ず来るであろう結婚生活の危機をかなり防げるかもしれない。

日々の生活に手ごたえを持たせる方法はいろいろあると思うが、その最大のものは、自分の生活に神話としての側面を持たせることである。

結婚のスタートに和歌をつくれば、それは神話として影響力を発揮する。
非日常の喜びが表現されたとき、自分の人生が神話となっていく道をつくる。
誕生日の意味も私たちは実は神話の世界を生きていることの手ごたえを自覚させる。
このように何事もはじめと終わりが大切なのだ。

ここにしっかり神話となる道を作っておくと、日常の困難に対する強さが現れる。
国でもそれは同じで、出発の神話が心もとないと途中もどうしても心もとなくなる。
神話はだましでも偽りでも迷信でもない。

もともと、現実が神秘であり、現実が正しく神話なのである。
ただ私たちは日常の積み重ねにおいて、繰り返しにおいて、だんだんとそのことをつい忘れてしまうからにほかならない。
自殺したくなったとき、自分に意味が感じられなくなったとき、自分が嫌いになってしまったとき、私たちは自分の神話の側面を忘れているだけである。
神話などない、平凡で何のとりえもないのが自分だ、、、と、かたくなに思うこともあると思うが、それは間違っている。

こちらが生んでくれと頼んだのでもなく両親の要請、神の要請によって私たちは生まれてきた。
それは十分なドラマの始まりであり、まさに神話から私たちの人生はスタートしている。

死も同様。
あちらからお迎えが来る。こちらから願うわけでも申し込むわけでもない。運命としてあちらからやってきてくれる。
だからこれも神話である。

誰の人生もだから劇的なのだ。すごいのだ。
不運の連続で何ひとつよくない人生と嘆く人もいるかもしれない。しかしそれを神話として捕らえたら、よくできた神話ともなる。
ただその役を受け入れてこなす意思があるかないかの違いだけ。

私たちは色々な役柄をそれぞれ背負っているが、みんなで協力して、今の時代に、この地球で、それぞれの神芝居を演じているとも言える。
変えられる部分は何でも変えたらいい。しかし変えられない部分は仕方ない。
それを運命というのなら、そこにこそあなたの神話が息づいている。

Posted by ぶらりブログ運営スタッフ  |

2009年7月 1日 (水)

水無月の大祓い

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きょうは披講学習会の練習をさしていただいている港区の元神明宮へ、大祓いのみそぎに行った。

ニッポン放送の録音が終えてから行ったのだが、すでに式は終えてしまっていた。しかし宮司様とお会いでき、備えてあったチノ輪くぐりの行事を執り行ってくださった。
ありがとうございました。

初めての体験。

不思議だったのは、有楽町からタクシーで元神明に行った際、行く場所を言うと、運転手さんはやけに元神明界隈について詳しい。どうやら子供のころからずっと暮らしていたみたいだ。小学校は赤羽小学校ですと運転手さんは言い、私も懐かしかった。

私は南海小学校というやはり近くにあった一時は東京一古い小学校だったが、閉校になった。母校がないというのはさびしいものである。

素晴らしい校歌だったが、もうあの校歌はどこでも歌われることがないと思うとつらいものがある。

天と地との開けそめし、、、、あめとつちとのひらけそめし、、、と読むが、それほど古い言い回しの校歌だった。おそらくご存じの方はいないでしょう。

というわけで、タクシーの運転手さんと昔の三田界隈の話しをしながら神社へ行った次第。運転手さんは運転しながら、しきりに何度も何度も、なつかしいなあ、、、、と言い続けていた。

宮司さんにOのタクシーに偶然乗った、、、と言ってください、と言われたので、宮司さんに言うと、やはり驚かれて懐かしそうにされていた。
地縁である。

子供時代というのはなんでこうも懐かしいのだろう。

今の日本人には、幸せな光景というのは子供時代しかないような、そんな気になる。

しかし中には子供時代ですら地獄の時代という人もいる。
どこにも車が走り、電車が走り、ビルが建ち、おいしいものがたくさんあり、とても豊かに見える現代の中で、まだ飢えたり、保護されなかったり、苦しんでいる子供がいる。

国がやることの最低限のことではないか。子供の安全と命を守ること。

いったん戦争が起これば、子供だろうが赤ちゃんだろうが、関係なく砲弾が飛び、肉片が飛ぶ。

そんな馬鹿なことがあるだろうか。
そんなことがありながら、車に乗れても、飛行機に乗れても。月までいけても、何の意味があるのか。
人間の恥そのものではないか。

国が大変なのはよくわかる。しかし、子供の命を守り、飢えのない子供として守ること。そうした、安全が優先されずに大変も難しいもないではないか。すべてはそこから。

戦争を起こしても、一人も子供を殺さないでやってほしい。
子供は関係ないのだから。

こうした当たり前のことが守られない、満たされない、というこれまでの世の中というのは、この一点を取ってもインチキだったことがわかる。

誰かの利益のための道具にしかなかったのだろう、国も国民の働きも。

資本主義を作ったのと同じ人たちが共産主義も作ったわけで、近代国家はもともと最初から問題があった。

今回の変化はそこらへんからのやり直しとなるので、最後までそれに抵抗する人は、はっきりと悪魔的な面を見せ出すし、極めて純粋な気持ちからの変革を求める面との力関係になっていく。

本当に凄い時代だと思う。
いま現代人が戦うものは、子供達を守るための戦いと言ってもいい。


北朝鮮では飢えが深刻化しているという。

おなかをすかせた子供が道路で疲れて寝ている光景の写真を週刊誌で見たが、ある程度本当なんだろう。

子供に食べさす食糧など、大した金額でもないのに、そういうものまでがまんさせて武器を作っている。そうしないと国がもたない、、、と本気で思っているらしいが、そんなことはないはずだ。世界から飢えた子どもをなくすためにかかる金など大した金額であるはずがない。

それができないほど、地球は悪魔的に進んできたのだ。

悪魔でのかまわないが、とにかく飢えたこどもは助けろ。

今の日本だって給食だけで命をつないでいる子供がいるのだ。民主党が政権を取ったら、何でもいいからそれだけはやらなくてはダメだ。

世界には水の問題も、経済の問題も、環境の問題もあるが、難しい、、、などと言っている場合ではなくて、まず、飢えた子どもをなくすこと。

それをやってくれるのなら、私は自民党でも民主党でも共産党でも公明党でもどこにでも票を入れる。

子供の飢えをあらゆる問題の一つとして平行に並べるべきではない。最優先。
そこに気が付く人しかこれからは責任者になってはいけない。

子供の命を守れる人。
馬鹿な宮崎知事だろうがスタンドプレーの大阪知事だろうが、最優先で飢えた子ども、保護されない子供を助ける、、、それだけはやる、、、と言ってくれたら、喜んで嫌いになった東にも大阪知事にも票を入れる。

いま、政治は駆け引きなんかやってる場合じゃない。
心の声、普通の人間がもつ心の声が聞きたいのだ。

何を最優先するか、何を責任をもってやるか、、子供の安全以外に何があるというのか。原点に戻るとはそれ以外にないだろうが。

こんなに政治家が大勢いて、なんで飢えた子どもを救えないのか。
馬鹿にした話しである。

政党が必至になる必要などなく、本気になって取り組むたった一人の政治家の力で、日本の子供の飢えは解決できるはずだ。

一食300円として、10万人の子供が飢えていたとすると三千万。一日一億。年間400億円で飢えた子どもがいなくなる。飛行機一機の値段だろうが。

だめだよ、本当に人間をばかにしては。
難しい理屈つけないでまず、そこだけは早くやってください。
そうすれば日本は段々と強くなってくるはず。制度問題は次のことなんだよ。

と、段々私も言葉づかいが悪くなってきたようで、申し訳ありません。
月が牡羊座なので、時々そうなってしまう。

マイケルジャクソンが政治の世界に出たら、彼の純粋性によって、こうした子供の飢えをたった一人でなくせた可能性があると思う。

しかしマイケルの声は本当に繊細だと思う。
日本が好きだったんだよね、あの人。

組織がダメになり、国がダメになり、権威がダメになり、、あとは心しかない。
心のない人がいくらバタバタしてももう世界は動かなくなっている。

小池百合子なども、もう自分の出世ばかり考えるのはやめて、罪滅ぼしのつもりで日本人の子供の一人も飢えた子がいないようにする、、、とでも考言ってほしい。他のことはやる必要ないので。

そうしないと本人自身が全うできないところに来ている気がする。ビジネスサテライトからずっとあの人を見てきたが、本当に顔つきが変わったと思う。

権力が人を救うことはない。子供を守れたら、次は、次は、、、と、心の政治が動いていき、国民もこぞって応援し出す。

その方が絶対に得だよ。

こうしたことに気づいた人から政治家としてこれからは成功していくので、早く気づいてやってください。

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熊蜂とグラジオラス

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このグラジオラスは4年ほど前に妖精が止まったグラジオラスと同じところに咲いたもの。毎年、きれいな花を咲かせてくれます。
ご近所の方にいただいたお花。とてもきれいです。

妖精はおそらくてんとう虫。まったく同じ顔の妖精写真をコナンドイルの写真から発見したことがある。コナンドイルのもおそらくてんとう虫をどこからか写した妖精写真なのでしょう。

しかし本日は熊蜂。熊蜂はグラジオラスが好きらしく毎年やってくる。熊蜂も妖精らしいので、今年も妖精写真が撮れました。


本日は遠方からいらしてくださったIさん、お疲れ様でした。

新オフィスにいらして、帰りがけにヒルズにも立ち寄り、ちょっと早めの夏休みを堪能したと言われて帰られた。ありがとうございました。

Iさんは編集のプロだけど、ご自身でもお書きになるので、本日は本来なら原稿をお渡ししなければならなかったところなのだが、まだ私が書いてなかったた め、苦し紛れから、内容変更の話しをしたところ、確かにその方が、、、ということになって、ならば、Iさんが書いた方が面白いのでは、、、と、主客転倒。 私は監修という形に急きょ変更。締切り逃れもこれでできて、エブリバディハッピイとなった。

ここらへんの対応はやはりこの道で30年はやらないと出きない芸当。

しかし無茶苦茶な話しではある。締切原稿を取りに来られたけどまだやってなくて、終わってみたら相手が書く形に変わってしまっていた、なんて。

これで私が今度からは原稿を催促できる立場になるのかしら。
アバウトな世界での出来事ではある。
きょうは暑かったので、真夏の夢と思ってお許しを。
 

政権交代が現実味を帯びだしたせいか、不思議な事件が起きてくる。

アメリカと日本との核持ち込みに対する密約があったと元事務次官が言えば、政府はやはりそんなことはない、、の一点張り。絶対に間違いを犯さない官 僚、、、という考えが本当に無駄な税金を使うことにつながり、その意味のない意地が多くの混乱と不審を招いたとしても決して態度を変えない。

間違った作戦を正当化するためにさらに多くの将兵を見殺しにした官僚軍人と変わらない。

国に奉仕する仕事に就く人には、個人や部署のメンツではなく、全体の、ことに国民の利益という観点から行動する教育が必要なのではないか。

国で甘い汁を吸い、国で儲け、国で威張っていた人には出て行ってもらおう。

本来、海上は12海里までが自国の範囲になるらしいが、日本は3海里とすることで海外の艦船の通行の便宜を図ったという内容もある。アメリカに尻尾を振ることだけが日本の政策だった。

しかし人間には良心の呵責があるので、ご高齢の方から、やはりおかしいと思うことがこうして出てくる。余命も少なくなれば、おかしいことはおかしいと言いたくなるのだろう。

これから聴くのも恐ろしいようなことが、自民党政権のもとで作られた秘密として暴露され、それを知った国民が、なんだ、ちっとも国民のことなんか考えてなかったじゃん、、、、という流れが出てくるだろう。

最後までそれでも隠そうとすれば、最後は本物の悪魔になる以外にないだろうから、テロだって何だって起こしたくなるかもしれないが、それはやめてください。もうおかしなことはしないでください、、、と願います。


時代的な生活苦から逃げるには、生活者としての自分を確立していくことが大切、ということを昨日話した。

生活者の自分とは、仕事にとられて時間がない、、、だから弁当を買う、クリーニングに出す、糸がほつれたズボンをそのままにして新たに買う、、、という行動に出てしまう。

生活者としての自分を大事にしたら、30分早く起きて弁当をつくる、、汚れたものは自分で洗濯する、、、着るもの、使う物を修理する、、、というようなことから始まって、だんだんと生活の質を手ごたえとしてアップさせていく。

贅沢な暮らしにアップするのではなく、暮らしや生活に手を加え、それを楽しみ、それにまつわる横の関係を深めていく、、、ということだ。

自給1000円以上もらえるなら、合理的な生活のほうがまだ力を持つかもしれぬが、自給750円などという人間をばかにした金額で働かせることを企業や国が考えるのなら、働くよりも生活者として充実していく方向のほうがずっと有利となる。

もちろんある程度の現金を得るためには安時給で働くのも仕方はないのだろうが、考え方として生活者の自分を重視することで、ストレスも不安の質も変わってくる。

しかし企業も国も馬鹿だと思う。安時給で企業の最大価値を高めようとする小泉竹中路線などは、結果的に亡国の政策となった。

人間を知らないからそうなる。
人間をばかにしているからそうなる。

小泉のおひざ元の横須賀市では子飼いの候補は落選。
当然だろう。この流れはもう変わらない。

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2009年6月29日 (月)

稲の伸び具合

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毎年、稲の伸び具合を気にして見ているけど、今年はやや遅い上に葉のふくらみが小さく感じる。株分けが遅れているのかも。
全国的に見たわけではないので正確なことはわかりませんが。

梨など人工的に受粉したものは実をつけているが、何もしなかった木は実の数があまりに少ないので驚いた。昆虫が少なかったことがよくわかる。

今年はやっぱり猛暑というよりもやや低めになるのでは。
太陽黒点の減少の影響がもろに出ている気がする。

天の異変と地の異変はリンクするのか、オバマが失脚するような話しも伝わってくるけど、メキシコでもウイルスに危機一髪だったし、帰国後には大統領飛行機が空軍に追われ、ニューヨークに逃げたり、、、命の危険があったのかも。
アメリカ人のために仕事をしすぎてしまったのだとしたら気の毒だ。

万が一オバマが失脚するようなことになると、アメリカでは暴動の危機が出てくる。どうせマスコミでは取り上げないのだろうけど。


早いもので今週で6月が終える。30日は水無月の大祓えがある。
気分一新して後半に備える。

現代人は日常と非日常の区別が少なくなっているので、疲れが蓄積しやすい。
ルーティン疲れで一日が終えてしまい、新しい命の部分が再生しない。

イチローなど、胃潰瘍でかなり出遅れて今シーズンスタートしたのに、ものすごい活躍ぶり。心機一転の機会があれば、多少の時間的な不利や不利な状況は克服できる。

以前の人は、40-50歳あたりで一度すべてを捨てて、一人になり、旅に出る、山にこもる、などして何かをチェンジし、また社会に戻ってくる、、、というスタイルがあったらしい。するとさらに大活躍できたとか。

現代ではそういう余裕などなく、人間はシステムにとらえられ、最後まで無駄なく搾り取られて最後は抜けがらのようにされてしまう。

私もこれまで本当に働きづめできたし、余裕があったことなど記憶にない。

しかしそれではダメだと思う。
今こそ社会のシステム時間から一度、自分の時間に戻す必要がある。

仕事が時給的な形になってしまっており、仕事をやめるとすぐに食えなくなる、、、という構造になってしまっているが、その意識から変えていくことだ。

実際、自給800円程度の仕事をするのなら、まだ洗濯時間にあてたり、靴の汚れを落としたり、ほころびをなおしたりした方が時給以上に得するような、逆転現象が実は起き出している。

企業が最低賃金的な働かせかたを国民の多くに強いてきた結果、なんだ、仕事するよりも家のことをやる方が得する、、、という状況が出ている。自分で野菜などつくれば、時給以上のリターンがある。

ずるすぎたシステムはずる過ぎてその存在の価値すらなくしている。

このところはマスコミと国が総出で、景気回復などの音頭取りをしているが、本当にうまくいくなら、政治ももっと安定していたはず。

月給とりとしての自分ではなく、生活者としての自分を磨いていくべきだろう。

高給を取っても、食事はつくれない、洗濯はできない、掃除もダメ、、、、ではこれからの人生は安定しない。

一人の人間がリアルに生活に向い、そこがベースにならないと危険だと思う。

生活者としての自分を捨て、社会システムに自分を合わせ、そして自分を失ってきたこれまでの生き方は、急速に劣化し出した。

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2009年6月28日 (日)

相似象

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マイケルの死にアメリカの行く末を重ねるのは私だけではないと思う。

物事は測ったように相似したり、関連していることが多い。
偶然に見えて偶然ではない。

松田聖子の華々しいデビューと日本のバブルの開始は一体だったし、その後の醜聞とともに日本の景気もしぼんでいった。

聖子が悪いわけでもなんでもなく、物事は関連がないように見えるもの同士でも、関連して働くことが多いというわけだ。

あらゆる事象の相似から近未来を見通すのは、若者よりも中年以降の人間が得意だろう。これまでの経験から直観的に感じ取るものがあるからだ。

シンクロから未来を知るには、世の中の出来事を単独ではなく、シンボルとして読み解く姿勢があると磨かれる。

近所の寿司屋の主人が、去年の10月下旬からぴたっと、お客が来なくなった、それは本当に突然だった、、、といった。それは寿司屋だけではなく、どの店も客入りが本当にぴたりと止まったのだ。

示し合わせたわけでもないのに、そんなことがなぜ起こるのだろう。

リーマン破たんによるサブプライムの問題が確かに発生したわけだが、民衆の懐にすぐにそのことが響いたわけではない。景気の悪化にはタイムラグがあったは ずだ。なのに10月下旬から日本も世界も突然に客足が減った。それも極端な低下。理由はなんとでもいえる。先々の不安が原因など、、、。

しかしそれにしても皆がまるで示し合わせたように同じ行動をとるところを見ると、人間もアリや虫や鳥や魚同様、全員が同時期に同じことをかぎ取り、同じ行動に身構える、動物であることがはっきりする。

本能的にこれからの時代を知ったのだ。全員が一緒に。そしてこれまでの時代のインチキ性、もろさをどこかで全員が嗅ぎ取ったのだろう。

実態のない、架空の、手ごたえのない、そうした夢やロマンはそうした流れの中で消えていく。これまでの時代のシンボルが消えていくことになる。

小室の逮捕、マイケルの死、自民党の崩壊、アメリカの衰退、白人の歴史の限界、、、こうした大きな流れを誰が止めることができよう。

変化には大本での一貫性がある。
途中でとめられるものではない。

しかしマスコミや世界の流れを作ったテーマは本当にすべてが嘘だった、、といってもいいくらいだった。

フランス革命、ロシア革命、共産主義、資本主義、米ソ対立、金融支配、温暖化の金儲け、テロとの戦い、エネルギーの枯渇、マネタリズム、、、すべてがインチキだったとは、あまりにすごすぎる話しではなかろうか。

歴史の根幹のほとんどがインチキ、ご都合、つじつま合わせ、一部の利益のための構造、、、これだから、地球はおかしくなった。人間は幸福になれなかった。

こうしたインチキの根幹にあるのは、一部の人間の欲でもあるかもしれないが、むしろ恐怖だろう。何に対する恐怖か、多くは白人が抱いた白人以外の人間に対する恐怖と言ってもよい。

もっと言えば、東洋、とくに日本人に対する恐怖なのかもしれない。
この100年は平たく言えば、日本とアメリカを代表とする白人との争いの歴史と考えると、色色な謎がわりに納得がいくように溶けてくる。

ご批判は当然あると思うが、よく大本を見つめれば、それが本当であることがわかると思う。

これからは武器をもつよりも、繊細な感性やなんでも最高のものを生み出す力が最大のプレゼンスとして働く。世界の人は日本を嫌いながらも、本音では、この国をうらやましく思う。

和の持つ力が体現された国、繊細な感性による芸術化が自然と開かれる国が日本だが、そのことが、これからの地球の原動力にならざるを得ない。

だまし、インチキによる富の独占によって、旧世界は滅んだ。再興は日本が知らないうちに磨きあげた和と芸術化による方向性しかない。

だから日本の政治も変わらざるを得ない。

これまでのインチキ方針にあぐらをかいてたり、これまでの世界権力構造の中での権威構造、政治構造では、立ち行かない。

それらは、明治以降からの仮の日本の姿であって、西洋に追いつくための一時的な擬態であった。

擬態を本体と思っていた権威、権力、そこにまつわる人や金はもう力を失いつつある。一般日本人の感性による立国、芸術化の方向を目指すものがこの国を運営していくことになるだろう。

そうした人材は、名もなき人に多い。
普通の良識ある、善良な日本人である。

ずうずうしいだけの声の大きな人がわかりやすい利益のためにひっぱる形は急速に意味がなくなっていく。

そうしたこの100年の上層部日本の擬態とはことなるもっと自然な日本人らしさは、日本語がある限りかろうじて持ちこたえられている。

言葉にはそうした力がある。

言葉は脳と直結するので、言葉の秘密を知ることで、その民族の遺伝子的な意味合いがある程度はわかるようになっていくと思う。

もちろん人間としての平等性は当たり前のことだ。そうではなく、それぞれの言葉の優劣ではなくて、個性と特徴、遺伝子の観点からいえば、目的のようなものがある。

出番はどこか、、、ということでもいい。
心もとないものの、もうすぐ日本の出番は来る。

日本人が偉いとかいうこととはまったく違って、ちっともえらくなどないが、行き詰った白人時代の次の役割があり、それが世界に貢献するという意味。

雨の神、風の神、地震の神、、いろいろな神にも働きがあるように、得手不得手があるということ。

個の能力を発揮したほうがいい時代には、白人脳、和の能力を発揮した時代には日本人脳、、、と、そう言ってもいいが、なんであれ誤解する人は誤解するだろう。

しかしそいうことだ。
必要なところでそれが得意な人が出てこないと、世界がダメになってしまうのだから、それぞれがそれぞれのお役に付くのは仕方ない。そうやってこの地球はこれまできたのだろうから。

この60年から100年は日本人は擬態を演じて白人的な世界の一員になろうとしていたわけだが、これからは違う。時代が変わったのだ。

言葉の中に秘密があるが、今の日本人の言葉は荒れているうえに、歌がない。言葉と歌、、、そこに芸術化、文化、あらゆる発明、発見、生活の喜び、、、の根本がある。

評論家や時代の解説家は多いが、本当の根本のことにまで言及する人は皆無である。頭で考えるからこうした根本のことがわからなくなる。

体験した音声、体験する日本の歌、声、そこで磨かれていく日本語から、すべての実りが生じてくる。

そのことに確信した私は、無い金を出して、11年前に星と森国際短歌大会を開いた。秀歌を選んで披講する。披講とは和歌を古来の旋律で歌うことを言うが、これは体験するしかない。

倍音が豊富に出るこの歌は、体験することで、日本語が体験として身に入り、深い意味の言葉体験となっていく、そうした構造を持っている。

こうした言葉体験を持つことで、日本語が深く身に付き、和と感性、芸術化などをむねとする日本人の感性が磨かれていく。
日本が和歌の国というのはそのことだ。

今年も7月26日の日曜日にいつもと同じ、飯田橋の日本出版クラブ会館で授賞式がある。ぜひとも披講を聞いてもらいたい。無料です。


毎年行うたびに私がスポンサーだから、かなりのお金がかかる。

いつまでできるか分からないが、数年も続ければ、和歌を歌う体験の重要性に誰かが気づいてくれて、力無い私が続けるよりもずっと素晴らしい形で、引き継いでくれる人や企業がきっと現れる、、、との思いから始めたが、11年たってもそうした人も企業も現れない。

歌の神様には、それならば私をもっと金持ちにしてくれて、これが続けられるようにしてもらうか、もしくは私はお役御免となって、さらに発展させてくれる人や何かにバトンタッチしてもらえるようにしてほしいものだ。

敷島は和歌の国なり、、、というのに、その本当の意味をわかっている人はきっと大勢いるとは思うが、そのことを実際に形にあらわした活動をしているのは、民間ではほんとうに私のところぐらいなのだ。

もっと多くのところが、このことに気づき、歌による日本語の復活の行動を無数に広げてもらいたい。

本当にお願いしますだ。何よりも大切なことなんだよ。

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